あれから、水梨医師とは関わらないようにしている。
てっきり、俺は内科医だとばかり思っていたが、彼もまた俺と同じで心療内科。
そのため、嫌でも顔を合わせなくてはいけないようになってしまった。
辛いけれど、声も仕事の一環だと思った方がいいよな?
仕事だと思って諦めるしかない。
割り切って仕事をしなければ、恐らくやってはいけないだろうから。
「次の方、お入りください」
「黒音医師、久しぶり!
早速今日も俺の話を聞いてくれないか」
やってきたのは、40代前半の男性で彼は俺と同じくギャンブル依存症。
彼も競馬やパチンコなどを毎週やって楽しんでいる。
かつては俺もそうだった。
競馬はそんなにやっていなかったが、パチンコが酷かった。
何度辞めようと思ってもなかなかやめられなかった。
一度でも楽しさを見出してしまえば、抜け出すことは難しい。
だから、まずは看板などを避けることから始まった。
俺が実践したやり方を勧めていく。
誰かに楽しさを100%理解してもらう事なんかできない。
同じギャンブラーであればの話だが。
「最近、少しずつだけど看板を見ても平気になってきたんだ。
以前はあんなにも打ちたがっていたと言うのに。
これも黒音医師のアドバイスのおかげかな!」
「いえ、俺は何もしてあげられていません。
頑張ったのは、自分自身なので褒めてあげて下さい」
そう、俺はただこうしてみてはいかがでしょう?
こんな風にしてアドバイスをしただけで、特別なことなんか何もしていない。
だからお礼を言われても困ってしまう。
しかし、こうして感謝されるのは素直に嬉しい。
俺が笑いながら言い返して、男性は嬉しそうに何度も俺に話す。
ちょっとした問診を行ない、彼が答えていく。
その様子を覗いていると、男性が堂々と書き込んだ問診票をみせてきた。
自信満々に見せてきた問診票を確認すると、最初のころに比べて沢山記入されていた。
最初は本当に大変だった。
なかなか俺の話を聞き入れてもらえなくて、結構手間取ってしまった。
それが現在では、こんな活発な人へと変化させてしまうなんて。
人間の成長は本当に素晴らしいもの。
「黒音医師がいつもこうして俺の話を聞いてくれるから。
だから、今の俺がここにいるん思う」
「そんな大げさな!
それなら、ギャンブル依存症も克服してきたのかも?
ですが、油断をせずにそのまま続けて下さい」
「分かりました!」
男性は意気込んでいる。
この調子なら、あっという間に克服してしまうかもしれない。
俺よりも意思がしっかりしているし。
少し疲れてしまったから休憩を取ることにしよう。
彼をしっかり見送って、俺は椅子に腰かけてほっと一息ついた。
何だか立て続けに話しているから、疲れてきてしまった。
人の話を聞くと言うのは、決して簡単なことではない。
相手の悩みをきちんと聞いて受け止め、解決へと導くのが俺たちの仕事。
ただ話を聞けばいいと言うわけではない。
相手の立場に立って物事を考えられるようにすること。
これが重要なことだ。
俺がギャンブル依存症になった時、誰一人として俺の話を聞いては貰えなかった。
ずっと誰かに聞いてもらいたかったと言うのに、誰も聞いてくれなかった。
彼を見送って、俺は少し外の風に吹かれたくなった。
屋上へ行くと、車いすに座っているおばあちゃんを見かけた。
看護師に支えられながら、リハビリをしている様子だった。
歩けるようになろうと一生懸命に、立つ練習をしている。
看護師が一生懸命に患者と向き合っている。
「俺も頑張っていかなきゃ」
多きく深呼吸をしながら天を仰いだ。
冷たい風に吹かれながら、俺は夕暮れの空を見ていた、
皆それぞれちゃんと立ち向かっている。
実は最近になってから、やたらギャンブルがしたくなって、仕方がない。
何かでつまずいてしまうと、ギャンブルをしたくなってしまう。
水梨医師のやっぱり患者も多くて不平等に感じてしまう。
そりゃあ、俺だって頑張ってはいるけれど。
なかなか現実ってうまくいかないんだよな。
「黒音医師、サボりですか?」
考えているそばから嫌な人が現れてしまった。
なるべく考えないようにしていたと言うのに。
どうして、会いたくない時とかにこうやってあらわれてしまうんだろう。
別にサボっているわけではなく、ちょっと気分転換をしているだけなのに。
そういう自分はどうなんだろうか。
「ちょっと気分転換に来ただけですよ。
別にサボっていたわけではないです」
「それって本当ですか?
どう見てもサボっているようにしか見えませんけど?」
どうしていちいち突っかかって来るんだろう?
そのまま放っておけばいいのに、意味が分からない。
俺は、そのまま天を仰いだ。
どこまでも続いている空を眺めながら心を落ち着かせていく。
少しずつ気持ちが落ち着いてきたような気がする。
その間もまだ水梨がいる。
そろそろ診察室へ戻って仕事を片付けようか。
「黒音柩、元ギャンブラーで現在は心療内科医。
ギャンブラーって、人間として最低だと思わないか?
まだ、完璧に克服もしていないくせに、何偉そうに相談なんか乗っちゃってんの?」
どうして俺の事を知っているんだ?
ふとそう思ったが、俺は肝心なことを忘れてしまっていた。
それは、彼と俺はちょっとした接点があるという事。
かつて俺はギャンブラーで、水梨という医師に診てもらっていた。
そして、彼の名前も水梨・・・。
二人は親子で医師の仕事をしているんだ。
しかし、いくら家族と言っても、患者の情報を外部へ漏らすのはどうかと思う。
親が親なら子供も子供なのかもしれない。
言い方は悪いが、蛙の子は蛙だ。
俺がギャンブラーだったことを知られてしまっている。
医師が元ギャンブラーって、イメージが悪いんだろうな…。
しかし、過去を塗り替えることは出来ない。
「あなたのお父さん、仕事をなげやりにしていましたよ。
全く俺の話なんて聞いてくれなかった」
「ギャンブラーなんて人間のクズじゃないか。
話を聞くだけ無駄なことだから、父さんはお前の話を聞かなかったんだ。
注意したって、どうせまたギャンブルやるに決まってるからな」
そんな言い方をしなくたっていいじゃないか。
ギャンブラーは人間のクズって。
だったら趣味でギャンブルをしている人もクズという事なのか?
確かにギャンブルを楽しむだけ楽しんで、返済していないタイプはクズ扱いでもいいかもしれない。
しかし、中にはちゃんと人もいる。
そんな人のことまでクズ呼ばわりするのは、間違っている。
俺の事を悪く言うのは構わないが、他人には他人の事情がある。
確かに自分は縁がなかったかもしれないが、限度を守れば決して悪いことではない。
それなのに、一方的に悪く言うのはどうかしている。
「俺はあなたの父親みたいな医師にはならない。
ちゃんと一人一人と向き合って解決していきたい。
例え、それが時間のかかる事であろうとも、俺は。
俺に出来ることをしたいんです」
「何を甘っちょろいことを!」
「甘っちょろいかもしれませんが、俺は自分の意思を譲りません。
もし、実現することが出来ればもうキレイごとではなくなる」
俺がそう言うと、水梨は黙ってしまった。
実際に達成してしまえば、それはキレイごとではなくなる。
確かに俺は元ギャンブラーだし、現在だってまだ完璧に克服しているわけでない。
だからこそ、毎日努力をしてギャンブルから自分を切り離そうとしているんだ。
なかなか難しくて戸惑ってしまっているけれど、いつか完璧に克服できると信じている。
自分と同じように、悩みを抱えている人の力になりたい。
そうすることで、俺もまた一回り成長できるのではないかと思うんだ。
それをこの人に話したって、きっと理解を示してはくれないだろう。
「話が無いなら、俺はこれで」
俺はそう言って、屋上から去って行く。
これ以上、彼にかかわると疲れてしまう。
何を話したって、“でも”とか“だけど”という否定形しか言おうとしない。
否定形ばかりで話が前に進まない。
そんな会話に貴重な時間を費やすわけにはいない。
もっと有効に時間を使うためには、さっさとあの場を立ち去ってしまった方がいい。
俺はあの人みたいに、一方的なことばかり言わない。
どんな言葉を与えてあげたらいいのか、もっとよく考えてから言葉を発したい。
人にはそれぞれ悩みがあるし、その悩みは他人から見れば馬鹿げているかもしれない。
だけど、悩んでいる本人にとっては、とても大きくて厄介な悩み事なのだ。
それをクズ人間と言って片付けてしまうのは、どう考えても間違っている。
悩みを持っていない人間が偉いだなんて聞いたことが無い。
「黒音医師、どうかされました?」
「君は、ギャンブルをしている連中がクズ人間だと思うか?」
「うーん・・・ちゃんと自己管理しながらやる分にはいいと思います。
ただ、借金ばかり繰り返しながらギャンブルする人がクズ人間と言われても仕方のないような気がしますね」
そうだよな・・・やっぱりそれが一般的な回答だと俺も思う。
一度ギャンブルにハマってしまったら、またぶり返すと水梨は言った。
しかしそれって、個人差があるんじゃないのか?
きちんと理解できる者は頻繁にはギャンブルをしない。
理解できない者が何度も繰り返す羽目になるんだ。
なぜなら、それを悪いと思っていないから。
はたして、俺はそのどちらに当てはまるんだろうか・・・・。
自己破産宣告をした時点で、俺もクズ人間の仲間入りだけどな。