仕事の合間を縫って、俺はお袋と菜月の元へ通い続けている。
あれからお袋の意識がはっきりしてきて、食欲も出始めた。
病院食がまずいと文句をつけられるくらい元気になってきたから、問題なさそうだ。
そして、俺はあれから説教をされて大変だったが、全然イラつかなかった。
だって俺が悪かったんだし、逆に怒ってくれる人がいることに嬉しさを感じたくらい。
それを言うとお袋がキレるから言わなかったが。
今まで何があったのか、全て話すとお袋が驚愕していた。
「律稀、もうギャンブルしなくなったの?」
「ああ、もうすっかり克服して今は何もしてない。
それに今まで作った借金もおまとめローンで毎月返済してるんだ。
今まで迷惑かけて、ごめんな」
「更生したのね・・・よかった。
それで、生活の方は苦しくないの?」
「それは大丈夫だ、会社で昇格して給料もいいし。
返済したって余裕があるから問題ない」
そう話すと、お袋が安堵した表情を見せた。
今まですごく心配をさせて迷惑をかけ続けてきたからな・・・。
気がかりで仕方がなくて、そのストレスで倒れてしまったんだ、やっぱり。
生活は別に苦しくないし、返済だってあれから延滞せずに支払っている。
何も問題なく、全てが順調に進んでいる。
菜月の事を除けば・・・。
それから、菜月のことを全て話した。
ひき逃げされて今意識不明の重体になっている事や、その犯人が捕まったことも。
俺が言いたいことを言って、犯人をぶん殴ったことも。
「あんた、さすが私の息子だわ。
私でも間違いなくぶん殴っていただろうから」
「後はゆっくり見守るしかないそうだ。
毎日手を取って声をかけ続けているが、反応がないんだ。
この間、ほんの少しだけ指が動いた気がしたから、望みはある」
「そうね、私も声をかけてみるわ」
お袋は菜月を見てそう言った。
ずっと声をかけ続けていれば、迷わずに意識を取り戻してくれるはずだと思う。
菜月は昔から負けず嫌いで、前向きに物事を考えて努力家だったから。
きっと生きることに対しても、簡単に諦めたりしないんだ、きっと・・・。
そして、尚原が来てくれてみんなで菜月に声をかける。
本当にどうでもいいことを語り掛ける。
俺が仕事で失敗したことや、尚原がドジったこととか、色々なことを。
嫌な話じゃなくて、笑って話せるような話を中心に話す。
時間が来てしまい、俺はお袋に任せて尚原と一緒に帰ることにした。
タクシーで自宅へと向かう中、尚原が黙り込んでいるのが気になった。
何か不安なことがあるのだろうか・・・?
「尚原、どうした?」
「実はずっと前から言おうと思っていたんだが・・・。
俺、前から菜月のこと想っていたんだ」
別にそう言われても驚かなかった。
何故かって?
だって、昔から二人が仲良かったのは知ってるし、態度に出てたから。
俺の前でも菜月はよく笑うが、尚原の前では本当にいい笑顔を見せていた。
恐らく、本人は全く気が付いていないと思うが。
それに、尚原だって菜月に対しては本当に優しく笑いかける。
二人が両想いなんじゃないかと高校時代の頃から、なんとなく思っていた。
俺になんて言われるのか怖くて、今まで言い出せなかったのかもしれない。
「お前みたいな男になら、菜月を任せても大丈夫だと俺は思う。
しっかりしてて頼もしいし、尚原なら菜月を守れるだろ。
後はお袋がなんて言うかだろうな」
「驚かないのか?」
「高校時代から両想いなんじゃないかって、なんとなくわかってた。
お前も菜月も顔によく出るから、分かりやすいんだよ。
まぁ、俺としては二人が両想いで嬉しい限りだけどな」
他の知らない馬の骨にやるより、はるかにいいことだ。
尚原になら菜月を任せても安心できるし、たぶんお袋も納得してくれるだろう。
ただ、問題なのは菜月が目を覚ますかどうかという事。
このまま覚めなかったら、尚原が傷つくことになるし俺もお袋も悲しい。
だけど、俺は信じていた。
菜月が必ず目を覚ますことを。
ギャンブル運は全くなかったが、こういう時の運は強いんじゃないかと思うんだ。
根拠なんかないけど、そう思うんだ。
俺の家の方が近いから先にタクシーから降りて、尚原とは別れた。
自宅へ帰り、やることを終えて俺はベッドへ飛び込んだ。
「菜月・・・目、覚ますよな?」
まだ暗闇の中で迷い続けているんだろうか・・・。
手を取って声をかけているだけじゃ、方向が分からないのかもしれない。
何かいい方法があればいいんだけどな・・・。
菜月の好きだったものを近くに置くとか?
うーん・・・好きだったもの・・・好きだったもの・・・。
菜月はある歌手のファンで、その中でもある一曲だけしつこいくらい聴いていたっけ。
曲・・・音楽・・・そうか!
俺はベッドの上で身体を勢いよく起こした。
菜月にその曲を聞かせてやれば、戻ってくるかもしれない!
明日早速、ヘッドフォンとその曲を病院へ持っていこう。
翌日、俺はいつも通りに出勤して仕事をてきぱきとこなしていく。
片付けるべき仕事を定時までに終わらせないと、尚原に負担をかけることになるからな。
いつまでも尚原に甘えるわけにはいかないから、ミスをしないよう丁寧にかつ手早く仕事を片付けていく。
それが結果につながって、俺はまた昇格することになった。
役職が上がることでこなす仕事量も増えてきて、本当にやりがいを感じるようになってきた。
尚原も俺の後を追うように昇格し、再び同じ立場として仕事をしている。
一方、保泉は相変わらず昇格はせず定位置のままで後輩に越されていっている状態だった。
後輩の方が出世して保泉はそのままで、いつしか後輩たちから陰口をたたかれるようになってしまっていた。
庇おうとも思ったが、非が保泉にあることを知り何も出来なかった。
間違っている人間を庇うのは何か違うから。
以前の保泉の姿はなく、まるで別人のようになってしまっている。
短気になったと言うか、雰囲気が殺伐としているしピリピリしている。
付き合っていた彼女とも別れたという噂まで流れているし、もう手の付けようがない状態だ。
「海老原、これ頼む」
「ああ、終わったら尚原に持っていくよ」
俺は尚原から資料を受け取り、内容を確認していく。
破産宣告をしたことで借金がチャラになったわけだが、金融事故者としてブラックリストに登録されてクレジットカードも利用出来ないし、消費者金融などの金融機関の利用も出来ない。
ローンを組むことも出来ないから、不便なことだらけなんじゃないかと思う。
俺ももしあのまま過ごしていたら、今の保泉のようになっていたのかもしれないと思うと、急に怖くなってきた。
自己破産すればいいやなんて言っていた自分が、本当に馬鹿だったことを知る。
本当に考えが甘く、世の中をなめていた。
定時まであと3時間、しっかり仕事をして片付けないといけないな!
気が付けば定時なっていて、同時に俺のすべき仕事が片付け終わった。
これで今日は尚原に任せなくても大丈夫だ。
俺は尚原や周囲の連中に挨拶をしてから退社し、病院へと向かった。
時間があっという間に過ぎていくから、しておきたいことはしておかないと。
タクシーで向かっていき、病院へつき早歩きで病室へと向かっていく。
カバンの中からヘッドフォンを取り出し、曲をセットする。
菜月に聴かせて、こっちへ戻ってきてもらわないと!
病室へ着くと、お袋が菜月の手をつなぎながら眠っていた。
お袋も疲れてるよな・・・。
俺はヘッドフォンを菜月に装着した。
音量は不快にならない程度にして、音楽を流していく。
これで少しは効果があるといいんだが・・・。
面会時間が終わるまであと2時間しかないが、今夜もギリギリまでいよう。
菜月の反対の手をつなぎ、声をかける。
「戻って来い、みんな待ってるぞ。
尚原に伝えなきゃいけない想い、あるだろ?」
その瞬間、菜月の指がピクリと動いた。
そうだ、お前は戻ってこなきゃいけないんだよ。
戻って来い、ゆっくりでもいいから焦らず戻って来い・・・!
何度もそう祈りながら、声に出しても伝える。
皆待ってるんだから、戻ってきてくれよな・・。
残された時間、ただひたすらに菜月が目覚めることを祈り続ける。
ただ、音楽を流したことで以前よりも反応するようになった。
この調子なら目を覚ましてくれるかもしれない。
「あら・・・来てたの?」
「ああ、今菜月が好きな音楽を聴かせてるところなんだ。
少し指が動いているから、目を覚ましてくれるかもしれない」
「本当?
菜月・・・迷っているのかしら」
「たぶん」
きっとまだ暗闇の中で迷っているんだろう。
俺ももうギャンブルをやめて、借金の返済をまともにしているから、菜月も戻って来い。
もう苦労させたりしないって誓うから。
俺とお袋は菜月の手を掴みながら、何度も声をかけ続けた。
面会時間が許す限り、ずっと語り掛けるかのように。
菜月には、俺たちの声が届いているんだろうか・・・暗闇に光をさすことが出来ているだろうか・・・?