数か月が経過して、俺はすっかり周囲からの信頼を得られるようになった。
最初はどうなる事かと思ったが、ギャンブルを辞めたことですべてが良くなり始めているような気がする。
今までは何をやってもダメで結果も出せなくて、嫌気がさすこともあった。
全て投げ出したくなるくらい嫌になってしまったこともある。
しかし、今ではそんな事は無く失敗したとしてもちゃんと前を向けるようになった。
嫌なことはいつまでも続かないと知ったから。
不運と言うのは自分の考え方次第なのではないかと思い始めたからだ。
ギャンブルをすることによって、俺の心も性格も歪み卑屈になって行った。
それは、ギャンブルでいつも負け続けているせいでストレスが積み重なっていったからだと、今では分かる。
ギャンブルなんか辞めればよいのに、それが出来なかったんだ。
簡単なことほど難しい事は無いと思い知らされた。
ギャンブルをして得た物はひと時の快感だけで、他に何も得られたものなどなかった。
逆にギャンブルをして失った物の方が多い事に気が付いた。
金も失ったし周囲からの信頼も失い、残ったのは多額の借金だけだった。
全て自業自得なのにやりきれない思いに駆られる。
「黒音、今夜ちょっと付き合わないか?」
「どこか行くのか?」
「ああ、とっておきの場所だ」
そう言って、同僚が足早に去ってしまった。
とっておきの場所って一体どこなんだろうか・・・。
そんなことを思いながら仕事を始めた。
内科医と言うのは、本当に忙しくて目が回りそうだった。
今まで精神科医として過ごしていたから何とも思っていなかったが、内科医はこんなにも大変な仕事だったのか・・・。
しかし、そのぶんやりがいを感じることが出来るから嫌だとは思わない。
忙しいのはいいことだと思うから。
頑張って働いて稼げば、その分返済に回すことが出来るから頑張りたい。
ギャンブルを辞めてから、考え方も少しずつ変わってきたような感じがする。
「黒音医師って、なんか雰囲気変わりましたよね」
「そうですか?
ギャンブルを辞めたからでしょうかね?」
「ギャンブルなんてよくないよ~!
辞めて正解さ!」
男性患者が笑いながら話す。
俺がギャンブラーだったことは、患者も職場内の人間たちも知っている。
隠し続けるにも限界があるし、実際にそうだったから非難されても仕方がない。
だけど、それも含めての俺だと思うからカミングアウトした。
俺を非難している一部の連中もいるけれど気にしない。
患者の中にも俺に不信感を抱いて離れていった者もいるけれど、意外にも残った患者は多かった。
今では、参考程度に質問してくる患者もいるが魅力を感じなくなった。
パチンコ屋の看板を見ても、競馬雑誌を見てもやりたいと思わなくなったし、身体がうずうずすることもなくなった。
これは俺にとって、すごく大きな成長なのではないかと思う。
何人か順番に患者を診ていき、皆口をそろえて“ギャンブルってそんなに楽しいんですか?”と聞いてくるから笑ってしまった。
普通の人からすれば、ギャンブルの楽しさなんて未知だもんな。
俺も最初は何が楽しいんだって否定的な立場だったことを覚えている。
それでも何故か気が付けば、否定していたギャンブルにハマっていたんだよな・・・。
「黒音医師、そろそろ午前中が終わります。
お昼にしませんか?」
「そうですね、そうしましょうか」
午前中の診療時間を終えて、俺は他の医師と昼食をとることにした。
午後の診療時間まではまだ時間があるから、少しくらいならゆっくりできる。
一階にあるコンビニで弁当を買って、休憩室で二人黙々と食べ始める。
身体は動かしていないんだけれど、精神的に動いていると言うか空腹になる。
休憩時間は仮眠をとっている医師がほとんどだ。
それだけ忙しい日常生活を送っているという事で、こうしてまともに食事している医師の方が珍しいのかもしれない。
弁当を食べていると医師が口を開いた。
「黒音医師は元ギャンブラーなんですよね。
・・・水梨医師の事、どう思います?」
いきなり水梨について聞かれて俺は黙ってしまった。
どう思いますかと聞かれても、なんて言っていいのか分からない。
水梨も俺がギャンブル依存症だった時に、ギャンブルやる奴は医師を続ける資格がないと言った。
あんなにも毛嫌いしていたと言うのに、現在では自分がギャンブルにハマってしまっている。
まるで立場が逆転してしまっているから、不思議に感じる。
周囲にも水梨のギャンブルの事が知られている。
それが原因で俺も話題にされているが、水梨に対する目は冷たいものが多い。
俺はギャンブルを克服したからいいようなものの、水梨は過去の俺のようになっている。
貪るかのようにギャンブルを続け、深い沼へと沈んで行ってしまっている。
俺が何を言ってもきっと無駄なんだろうな・・・。
「水梨は・・・何かキッカケがあれば変わるかもしれない。
ただ、闇金に手を出したことが失敗だったんじゃないかと思う」
「黒音医師は、水梨医師を恨んでいないんですか?
誤診を押し付けられたり、文句まで言われて・・・」
「確かにあの当時は、水梨が憎かったし人としてどうかと思っていたよ。
だけど、いつしか俺も吹っ切れて何も思わなくなった。
水梨は昔の俺に似ているから、正直見ていてすごくつらい」
以前までは確かに忌み嫌っていたはずなのに、いつの間にか忘れていた。
文句を言われても嫌味を言われても、全く気にしなくなった。
むしろ、現在では水梨に同情していると言うか心配している。
このまま借金を返済せずにギャンブルばかり続けてしまうと、本当に破産宣告をするしかなくなってしまう。
自己破産をしてしまえば法律的にすべての借金がチャラになると同時に、何もローンが組めなくなってしまうし信用も全て失われてしまい、実質どうしようもない人間というレッテルを貼られてしまう。
俺はそうなってしまう事にも恐れを感じていた。
だからなるべく自己破産をしないためにも、現在一生懸命に毎月の返済を続けている。
「俺は性格悪いかもしれないですけど、いい気味だと思っていますよ。
散々、多くの人達を傷つけ患者の誤診までしたんですから。
痛い目に遭うのは当然の事です」
そうか・・・周囲から見ればそうなのか?
男性医師が俺に対して考え方が甘いと言うが、甘いのだろうか。
皆が逆に厳し過ぎるのではないかと思うのだけれど、それは違うのだろうか?
誤診をして皆を傷つけ振りましたことは事実かもしれないが、そんな寄ってたかって非難する必要はないんじゃないかと思う。
俺も嫌な目に遭わされたけれど、そんなに器の小さい人間じゃないと思いたいから。
昼食を終えて、俺たちはそれぞれの業務へと戻って行った。
それからあっという間に午後の診察を終えて、朝声を掛けてきた医師と合流した。
「お待たせ、じゃあ、行くか!」
合流したのはいいけれど、そこには水梨の姿もあった。
水梨の姿を見てから、俺は何だか嫌な予感がしていた。
何か取り返しのつかないことが起きようとしているのではないか、と。
そのまま後についていくと、にぎやかな繁華街へ出た。
此処までは何もおかしいところはなく普通の道だったのだが、そのまま進んでいくとやがて人気が少なくなってきてさらに怪しく感じた。
後についていくと怪しげな雑居ビルに辿り着き、中へと進んでいく。
入り口で念入りなボディーチェックをして、中へと足を踏み入れていくとそこは・・・。
「驚いただろう?
此処は会員制の裏カジノで、勝てば一発逆転できるんだ!」
「そうなのかっ、紹介してくれてサンキュー!」
此処が噂の裏カジノ・・・しかも会員制で一般客は立ち寄れない。
噂を聞いたりドラマや映画の中だけにしか存在しないと思っていたが、現実にあったのか・・・!
他の連中や水梨が喜び興奮している。
俺もギャンブル依存症だったが、なぜだかもう魅力を感じなかった。
以前の俺だったら間違いなく、飛びついていたと思う。
だけど、興味を示さなくなったのは、やはり過去の自分に戻りたくないから。
あの荒んだ生活には戻りたくないと強く願っているから。
皆それぞれに散らばってギャンブルを楽しもうとしているが、違和感を覚えた。
そう言えば、今日集まったこのメンバーって・・・。
俺は気配を消しながら、ある一人の医師の後を付けた。
すると、そこにはさっき一目散にスロットへ走っていったメンバーが揃っていた。
「どうだ、あいつ等ギャンブルに溺れそうか?」
「水梨なんか俺たちの前でリーダーぶって命令ばかりして来たよな!
あいつなんか借金重ねて自己破産とかして、地獄に堕ちればいいんだよ!」
「言えてる、言えてる。
黒音も元はギャンブラーだったんだろ?
ギャンブラーって、ホントどうしようもないよな!」
そうか、水梨を陥れるために誘ってきたのか。
俺が誘われたのは元ギャンブラーだったからというわけか・・・。
何て卑怯な連中なんだ、あいつ等は・・・!
そう言えば、水梨はどこへ行った?
あの時1000万円の借金があったらしいが、そのままギャンブルを続けてしまったら本当に後戻りが出来なくなるぞ!
俺はすぐさま水梨を見つけ出し、その腕を強くつかみ取った。
そんな俺を見て、水梨が俺をキッと睨み付けて嫌がる。
「お前、このままだと本当に戻れなくなるんだぞ!?
さっさと身を引いて、返済の事を考えてみないか?」
「うるせぇな、お前には関係ないだろうが!!
オレが好きでやってんだから、お前は黙ってろ!」
そう言って、思い切り腕を払い切り、俺は床へと叩き付けられてしまった。
あいつ・・・本当にそれでいいのかよ・・・?
これじゃあ、あいつ等の思う壺じゃないか。
自己破産をすれば全てを失ってしまうと言うのに、あいつはそのことを何もわかっていない。
冷静に考えてみれば分かる事なのに、その冷静さが無いからますます深い沼へと沈んでしまっていく。
止めようにも俺の話を聞いてくれなくて、その度罵声も浴びせられる。
何かきっかけがあれば変われるかもしれないと思った俺の考え方が浅はかだったのか?
目の前でルーレットに大金を賭けて楽しむ水梨。
あぁ・・・このままじゃ本当に何もかもが終わってしまう。
ただ黙ってみているしかないのか?
俺がギャンブルにハマっているとき、姉貴が俺を必死に説得してくれて目が覚めた。
あの時も、こんな風に俺は受け付けず困らせたりしたのだろうか。
止めてやりたいが、俺の言葉を聞き入れてもらえないと思うと、何も出来なかった。
何をしても無駄だと思ってしまっているから。
誰だって聞き入れてもらえないと、続ける気が無くなってしまう。
俺としては止めたいが、本人が聞き入れてくれないからどうしようもないな・・・。