何かとあったが、俺は医師として復帰することになった。
まだ環境にはなれていないが、そんなことを言っている場合ではないから。
前のように診察を始めていく。
患者の中にも、俺に対してよく思っていない人もいるに違いない。
あれから患者が水梨の方に流れたと聞いているが、別に戻って来なくてもいいと思っている。
信頼関係が無ければ、相談されたって無意味だから。
そして、あれから医師の選択がしっかり出来るようになったが、頻繁に変えることは出来なくなった。
つまり、水梨の方へ流れた患者はしばらく水梨に診てもらう必要がある。
「どういうことだい!
わたしゃ、黒音医師に診てもらいたいんだよ!」
「申し訳ございませんが、黒音医師は予約がいっぱいですので。
それに坂城さんの担当は黒音医師から水梨医師に変更されましたよね?
ですので、黒音医師には診てもらえないんです」
「あんたたちは、客を選ぶのかい!!」
「ころころ変更される身にもなって下さい。
医師も予約患者の診察があるんですから」
看護師が少し強気に言う。
確かにコロコロ変えられてしまっては、こちらが対応できない。
看護師の言っていることは間違っていない。
予約をしてくれている患者だっている。
客を選ぶのか、そう聞かれたらYESと答える。
医師と言っても同じ人間、相性が合わなければ断ることだってある。
根拠もない噂に流されている人物なんて、俺は分かり合える気が一切しない。
緊急性がある場合だったら話は変わるが、今回はお断りをさせていただこう。
下らない噂を信じて水梨の方に切り替えて、今度はその水梨が気に食わないから再び俺に戻るなんて、いくら患者であっても面倒くさい。
それに、心療内科医なら他にもいくらでもいるんだから、わざわざ俺の元へ戻って来なくてもいい。
診察室の外で、まだごちゃごちゃ話しているのが聞こえる。
このままじゃ、うるさくて他の人達の迷惑になってしまう。
「あの、うるさいので静かにしていただけませんか。
診察でしたら、他の医師にしてもらってください」
「なんだい、その言い方は!!
私が診てもらってやってるんだから、偉そうにするんじゃないわよ!!」
「診てもらってやってると言うのなら、無理せず他の医師の元へ行ったらどうです?
その方が俺も助かりますよ」
「!!」
老人女性は何も言い返すことが出来なかったのか、黙ってしまっている。
こういう人間、一番嫌いなんだよな。
自分中心と言うか、他人の事なんてこれっぽっちも考えていないんだから。
いつか痛い目に遭う、こういう人間は。
診てもらってやっているというのなら、別に無理してくれなくていい。
診てもらいたい医師に診てもらえばいいじゃないか。
そんな患者なんか診察したくない。
俺はそのまま仮眠室へと向かった。
次の患者が来るまで、あと1時間半あるから少し眠っておこう。
何だか久々に仕事だから疲れてしまった。
仮眠室へ行き、俺はカーテンを閉めてベッドへ横になって両目を閉じた。
少しだけ眠って、また仕事を再開しよう。
そのまま意識が少しずつ遠のいていった・・・。
何やら声が聞こえてくる。
話し声からして恐らく男女二人だと思うが、話がこじれてしまっている。
少しずつ意識がはっきりしてきて、俺は目を覚ました。
時計を確認すると、俺は1時間ほど眠っていたようだ。
念のため、そろそろ起きて準備くらいしておかなきゃな。
そう思ってカーテンを開けようとした時だった。
「どうしてあなたが黒音を庇い守るんですか?
あんな奴、死んだっておかしくないじゃないか」
「私、あんたのそう言う所が大嫌いだって言っているのよ。
柩は私にとって大事な家族であり弟なのよ?
どうして、庇ったり守ったりしてはいけない訳?」
「・・・あなたはいつもそうだ!
柩、柩って・・・少しはオレの事を見ろよ!!」
その言葉と同時に大きな音がした。
一瞬、何の音かと思ったがそれはストレッチャーが崩れる音だった。
カーテンの隙間から様子を覗ってみると、壁に姉貴を追い込み迫っている水梨の姿が見えた。
・・・まさか、姉貴に手を出すつもりなのか?
しかし、姉貴だってバカじゃない。
その瞬間、再び大きな音が鳴り響いた。
何が起きたのかと言うと、姉貴が水梨の頬を思い切り平手で叩いたのだった。
さすがの俺も驚いて、言葉を失ってしまった。
「柩を苦しめた相手と私が付き合う?
笑わせんなよ、私はあんたみたいな奴とは死んだって関わりたくない。
目障りだから二度と私と柩に関わらないでくれる?」
そう言って、姉貴はすたすたと仮眠室から出て行ってしまった。
何だかここから出にくいが、いつまでもここにいるわけにはいかないから出た。
水梨はひどく驚愕した表情をして、俺の方を見ている。
俺は何も言わずにそのまま仮眠室を出ようとした。
何も話すことなんかないし、あの事をまだ謝ってもらっていない。
いや、謝ってもらおうなんて思っていない。
だって、それは言葉だけで反省なんかしていないと思うから。
すると、水梨が声を掛けてきた。
「どうせ、ざまぁみろとか思ってんだろ!
オレが苦しむ姿を見て楽しむなんて、最低だな!」
「あぁ、見ていて気分がいいよ。
お前だって俺が苦しむ姿を見て楽しんでいたじゃないか。
姉貴にフラれてお前、本当にかわいそうな奴だが自業自得だから仕方ないんじゃないか?」
俺は冷笑しながら言い返す。
楽しむも何も、最初から興味なんかない。
苦しむとか悲しむとか俺には関係ないし、勝手にやってくれ。
楽しめと言うならいくらでも楽しむさ。
俺の時にお前がしていたようにな。
憎んでいた相手が苦しむ姿は見ていて気分がいい。
罰があたったんだ。
ろくなことをするからこうなるっていう、いい見本だな。
大体、姉貴と付き合えると思っていたこと自体が間違いなんだ。
こんな性格の悪い奴、誰が付き合いたいと思うものか。
こんなやつに姉貴はもったいなさすぎる。
「他人にしたことはいつか自分に返ってくる。
お前もそのうち痛い目に遭うかもしれない」
そう言い残して、俺は仮眠室から出て行った。
小さい頃から言われていた、他人にしたことがいつか自分に返ってくるんだって。
だから俺は他人の悪口を言わなくなったし、言葉を選んでから話すようにしている。
自分に何かあったら大変だからな。
俺はギャンブラーだったけど、別に後悔なんかしていない。
ギャンブラーだったからこそ、何が大切なのか大事なことに気が付くことが出来た。
しかし、水梨はどうだろうか。
俺の事を嫌い、余計な噂を流し自分の過ちまで俺に押し付けた。
今後何が起きるのか、俺にはすでに予想できていた。
恐らく、水梨をよく思っていない人物たちから責められるだろうと。
だが、俺は関係ないから庇ったりなんかしない。
「黒音医師、こちらへお願いします!
彼が発作を起こしているんです!」
「発作を起こしている?」
急いで駆け付けてみると、小学生の男の子が苦しそうにベッドの上で呼吸をしていた。
かすかにヒューヒューという音が聞こえて、すぐに喘息の発作だと分かった。
すぐさま吸入器を用意し、薬を準備して男の子の口に吸入器を当てて、ゆっくり呼吸をさせていく。
焦らず自分のペースで呼吸をゆっくりさせていく。
男の子は身体を震わせていて、恐怖心に襲われていることも分かった。
そんな男の子の小さな手を俺はしっかりと握りしめた。
すると、男の子は安心したのか少しずつ落ち着きを見せた。
「もう大丈夫だ、ゆっくり息を吸ってはいて」
男の子は落ち着いてきて、気が付けば震えていた身体も今はもう震えていなかった。
喘息の発作は夜中から朝方になることが多い。
今は夕方だから珍しいけれど、大事に至らなくて本当に良かった。
それから彼の両親が駆けつけて、俺は発作を起こしてしまったことを伝えた。
担当は俺ではなくて水梨だった。
一体どんな診断を下していたんだ?
カルテを見ると咳喘息と記されていたが、どうみてもこれは気管支喘息。
咳なんか全くしていなかったし、あの呼吸音は気管支からのもの。
ここでもまた誤診をしていたなんて、あいつ患者の生命を何だと思っているんだ!
一歩間違えれば、この子だって危なかった。
「あの・・・担当医を変えることは出来ますか?」
「ええ、ご希望でしたら可能ですよ。
どなたかご希望の医師がいらっしゃいますか?」
「水梨医師から、あなたに変更していただきたいんです。
・・・だめでしょうか」
「いえ、喜んでお引き受け致します。
今回の事は誠に申し訳ございませんでした」
俺は水梨が誤診したことを代わりにお詫びした。
本来であれば水梨本人がすべきことだが、あいつは今それどころじゃないだろうから。
それに俺に担当医を任された以上、しっかりしなければいけないと思った。
目の前にある患者の生命を守る、救う、これが医師としての仕事。
俺は正しいカルテを作成し直し、母親と話し合いながら治療方法を決めることにした。
気管支喘息は、未然に防ぐ薬と発作時に吸入薬を使って、少しずつ抑えていくしかない。
何故なら、喘息自体まだ完治する薬が出来ていないから。
お子さんには悪いが、もうしばらくこの発作と付き合っていく必要がある。
しかし、先程よりも顔色が良くなっているから、症状はひどくない様子。
「黒音医師、本当にありがとうございます」
俺は笑みを浮かべながら“いいえ”と答えた。
感謝されるほどの事をしたわけではない、医師として当然だろ思ったから。
ギャンブラーとして活躍していた自分が、此処まで成長できたのは本当に素晴らしい事だと思う。
あの頃の俺には考えられなかった、現在の姿。
今後も間違いを少しずつ犯しながらも、俺は成長していけるのだろうか?
今度はちゃんと、誰かのためになるようなことをしていきたいと、強く思った。