あれから平穏な日々を過ごしていた。
まるで昔が嘘だったかのように、充実した日々を送っている。
駅前に新しいパチンコ屋が出来たと聞いて見に行ったが、もうやりたい気持ちはなかった。
あんなにも夢中になってやっていたはずなのに、本当に変わったな・・・。
借金も少しずつ少なくなってきているから問題はないはず。
順調に物事が進んでいると思ったのだが、どうやらそうもいかなくなってしまった。
業務時間開始前の事。
周囲の視線がやたら俺に集まっている事に気が付いた。
そしてまた、その好奇の視線は姉貴にも向けられていた。
一部の看護師たちが俺たちを見て、クスクス蔑むように笑っているのが分かる。
一体何なんだ?
そう思った瞬間、俺は水梨の言葉を思い出した。
“このままで済むと思うなよ”
恐らく、水梨が何か吹き込んだのだろう。
しかし、周囲も散々水梨を非難してきたはずなのに、簡単に噂を信じるとはどうかしている。
「下らない奴らがいるものだ・・・まったく」
廊下を歩いていると、その原因を見つけた。
掲示板に俺と姉貴の写真が貼られており、そこにはこんなことが書かれていた。
“偽物姉弟”・“ニセモノカップル誕生”
つまり、俺と姉貴の関係性について言っているのだろう。
実は、俺と姉貴は半血の姉弟なのだ。
母親と父親が結ばれて生まれたのが姉貴で、その後父親は病気で他界し再婚して生まれたのが俺。
だから正確に言えば異父姉弟という事。
別に隠していたわけではないが、言う必要もないと思ったから黙っていた。
それがこんな形で知られるとは。
すると、そこへ姉貴が現れて掲示板の紙を全てはがした。
「誰よ、こんなことしたのは!
下らない事してるんじゃないわよ」
「同感だな、実に下らない連中のすることだ。
いいよな、相変わらず暇そうで」
俺たちは冷酷に言い放った。
いい歳にもなってこんなことをしているなんて、下らなすぎてどうしようもない。
見た目だけ大人になって、中身はガキのままなんて最悪じゃないか。
ギャンブラーも良くないが、こっちの方が情けない。
ギャンブルは頑張れば克服することが出来るが、中身がガキというのは改善の仕様がない。
何故なら、それはもう長年染みついている性格のようなものだから。
ただ、思っていたよりも姉貴は気丈に振る舞っていて、無理して強がっている素振りもない。
そして、俺も別に傷ついたりしていないから問題ない。
紙をはがしてゴミ箱へと捨てる姉貴と、それを冷酷な眼をしてみている俺。
そんな俺たちを見た、一部の看護師たちが顔色を変えてささっと逃げるかのようにずらかった。
口ほどにもない連中だ。
ギャンブルをしていた俺を非難するなら構わないが、両親を馬鹿にされるのは許せない。
関係ない人間を巻き込まないでほしい。
それから通常通り仕事を始めて、患者と話しながら進めていく。
「黒音医師、あんな下らない紙なんか気にするんじゃないよ。
あいつらも時期に気が付くさ、己の過ちに」
「見たんですか?」
「ああ、この目で見たさ。
だけど、あれはやりすぎだ」
受診しに来たおばあさんが不服そうな表情をしている。
そうか・・・あの貼り紙を見たのか。
もしかしたら、入院している患者たちも見ているかもしれないな。
どう思ったのかそれは俺には分からない。
気にするなというおばあさんの言葉はとても頼もしく、本当にどうでもよくなった。
それからおばあさんは、水梨について語り始めた。
以前受診したら、話を聞いているようで全く聞いていなかったと話した。
おまけに風邪だと断言したくせに、違う医師に診てもらったところ風邪ではなく肺炎だったのだとか。
それから、おばあさんは水梨に対して悪いイメージを持っているようだ。
悪いイメージを持っているのは医師である俺も同じことだ。
「どうせ、今回のことだってあの水梨っていう奴のせいなんだろう?
あいつならやりそうだ、性質悪いからな」
「ええ、水梨の仕業ですね。
もう相手になんかしていませんよ、時間が無駄ですし」
そう言うと、おばあさんは満足げに笑った。
それから少しだけ話して、次の患者を呼び込んだ。
しかも、看護師にカルテを頼んでも持ってきてくれないし、いい迷惑だ。
時間があるときは自分で取りに行ったり、親しい看護師が積極的に運んできてくれたりして、何とか保つことが出来た。
一部の看護師たちだけが反抗しているようで、残りはどうも思っていないといった様子だった。
つかの間の休憩に、俺は両目に氷嚢を当てながらうなだれた。
何だかカルテを見過ぎて目が疲れてしまった。
「黒音医師、コーヒーどうぞ」
「ありがとう、君は俺の事非難しないのか?」
「どうして非難しなきゃいけないんです?
異父姉弟くらいで非難するなんてバカバカし過ぎて呆れますって。
そんなことで非難していたら、一体何人非難すればいいんですか?」
看護師は不服そうにしながら言う。
確かにその通りだ、こんなことで非難していたら一体何人非難すればいいんだ?
それこそきりがないじゃないか。
世の中にはそれぞれ事情を抱えている人達がいるんだ。
それを責めていたらきりがないし、何も知らない奴に非難される筋合いはない。
淹れてくれたコーヒーを口に運びながら、俺は思わずフッと笑ってしまった。
自分は自分、他人は他人だ。
業務をこなしながら、俺は次に目指すべき道を探していた。
今現在は内科医として勤めているけれど、独立してクリニックを開業させるのもいいかもしれない、なんて考えたりもしている。
もちろん、それは今抱えている借金を全て返済した暁にはと言う話で、今すぐしようという事じゃない。
そうなれば看護師が必要だし、経済学とかも学んだ方がいいのかもしれない。
「そう言えば、黒音医師はギャンブル、もう大丈夫なんですか?」
「ああ、おかげさまで。
あれから本当に興味がなくなって、今は手を出そうとも思わないよ」
「ふふっ、一歩前進ですね」
看護師が笑いながら言ってくるから、俺も笑ってしまった。
一歩前進・・・その一歩は俺にとってはとても大きなものなんだ。
周囲から見たら些細な一歩かもしれないが。
今日の業務を終えた俺は、更衣室へ向かう為廊下を歩いていた。
その途中、姉貴の姿が見えたがその場に立ち止っていて動こうとしない。
何かと思い、俺は姉貴のそばまで早歩きで向かうと水梨の声が聞こえてきた。
またあいつか・・・本当に暇な奴だな。
「異父姉弟って血が汚くないか?
そもそも血がつながってないのに、姉弟なんて言えるのかよ!
あんたらの母親、ただの男好きなんじゃねぇか?」
いつもの姉貴なら言い返すのに、疲れているせいなのか何も言い返そうとしない。
血がつながっていないから汚い?
血がつながっていないから姉弟とは言えない?
そんなにどう考えたっておかしいだろう。
じゃあ、いとこや親戚とのつながりは一体どうなる?どう説明する?
ただの男好きだと?
俺は黙って聞いていられなくて、思わず身を乗り出してしまった。
いきなり現れた俺を見て、水梨が驚愕した表情を見せた。
「血がつながっていようが繋がっていまいが、関係ないんだよ。
俺たちは信頼関係を築いているし、お前らよりも遥かにまともな人間だ。
俺たちの事を何一つ知りもしないくせに、偉そうに割って入ってくるな!」
「・・・ッ!!」
「言わせてもらうが、お前もギャンブルに堕ちたのは親が出来そこないだからじゃないのか?
出来そこないの遺伝子を引き継いだお前も、また出来そこないの存在。
まったく、ろくな親じゃないから生まれてくる子供もろくな人間じゃないんだ」
「なんだとッ?!」
「お前が最初に俺たちの母親をバカにして来たんだろう?
だから同じことをしてやったまでだと言うのに。
自分が言われたら逆切れか?」
俺は冷酷に言い返した。
自分がされて嫌なことを他人にしてはいけないと教わらなかったのか?
何も知らない人物にとやかく言われる筋合いはない。
全てを知っている人物だったらいいけれど、そういった関係性ではないから。
誰だって、自分の大切な人を馬鹿にされたら嫌な気持ちになるに決まっている。
目の前には不服そうにしている水梨の姿が。
そんな表情をされたって、俺には関係ない。
その間、姉貴は何も言わずただその場に立ち尽くしているだけ。
普段なら言い返すはずなのに、姉貴らしくない。
例え血が半分しか繋がっていないとしても、姉弟には変わりない。
もしかしたら、本当の家族よりも家族らしいかもしれない。
「俺たちはそんな生半可な絆で結ばれているわけじゃないんだよ。
血がつながっていようが繋がっていなかろうが、関係ない。
お前はかわいそうな奴だ、こんなことでしか周囲の注目を集めることが出来ないんだから」
俺がそう言うと、何か言いたそうにしつつも水梨が去って行った。
何を言っても無駄だと思ったのだろう。
姉貴の方を見ると、俺をじっと見つめていた。
その瞳はどこか泣きそうな雰囲気を醸し出していて、さすがに何も言えなかった。
俺が黙っていると、姉貴がゆっくりと口を開いて話した。
その声はとても小さく、か細くて聞き取ることがやっとだった。
だけどしっかり聞き取ることが出来た。
“柩の言う通り、私も信じてたよ”と。
姉貴も本当はどこかで俺が水梨と同じ考え方をしているのではないかと、内心疑っていたんだと思う。
だからこそ、俺があんなことを言って驚いたんだ。
何も言えなくて立ち尽くしていたのは、俺の言葉を聞いて驚いたから。
「俺があんな奴と同じことを考えるわけないだろう?
小さい頃からちゃんと家族だと思っているし、変な目で見たりしていないよ」
俺がまっすぐな眼をして言うと、姉貴はやっと笑顔を見せてくれた。
“最初から知ってたし!”と言いつつも、本当はすごく嬉しいんだなってわかった。
姉貴はあの頃から何も変わっていない。
素直に喜びを出せなくて、こんな風に強がっては笑ってごまかす。
でも、そんな姉貴を俺はキライじゃないし、医師としてとても尊敬している。
きっと姉貴から見たら俺も変わっていないんだろうな。
いや、ギャンブル依存症になってしまった時はさすがに変わったと思ったに違いない。
だけど、良き弟でいられるように今後も少しずつ努力して成長していこう。