あれから院内で、俺が元ギャンブラーだったと言う噂が流されてしまっている。
言いふらしたのは、間違いなく水梨だ。
あの人が勝手に流して、俺を陥れようとしているんだ。
俺がいなくなれば、俺の患者は皆水梨の方へ行くシステムになっているんだ。
そんなことは何としてでも避けたい。
医師になったのは、俺のような者達に手を差し伸ばし救いたいから。
まさか、こんな噂が流されていたとは・・・なんて卑劣な奴なんだ!
正々堂々、俺に立ち向かってくれば良いものを。
院内で流されてしまっては、さすがに居場所を無くしてしまう。
別にずっと隠していようと思っていなかったし、知られても大した問題ではないと思っていた。
しかし、でたらめの噂も混ざっているから、辞めさせられてしまうかもしれない。
ギャンブルをして女遊びをしては捨てていたなんて、全くの濡れ衣だ。
ギャンブルをして居たのは間違いないが、女遊びなんかしていないのだから。
全く、どうすればそんなでたらめの事を考え付くんだ。
通り過ぎていく看護師や医師たちが、冷たい眼で俺の事を見ている。
本当は違う!と今すぐにでも弁解したいがそうすれば、逆に怪しく感じると思って何も言わなかった。
そう信じたい奴だけ信じればいい、事実は全く違うけどな。
人の噂もなんちゃらって言われているし。
当たりがきついのは最初からだったし、問題ない。
「これから、どうなるんだろうか・・・」
一気に不安を抱き、気分が塞がれてしまった。
院長に呼び出されたりしないだろうか・・・
呼び出されたらそこで本当の事をしっかり伝えよう。
院長に誤解されるのは嫌だから。
仕事はしっかりこなして、文句が言われないよう隅々までチェックした。
これで何も言われまい。
資料を取りに廊下を歩いていると、みんなが俺の方を見てひそひそ話している。
そんなに俺の事を悪く言って楽しいのか?
それに、よくもまぁ訳の分からない噂を信じたものだ。
俺だったら、その噂が真実なのか確認するがな。
一日はあっという間に終わろうとしている。
気が付けば、いつの間にか夕暮れになっていて、周囲に人もいなくなり始めた。
そんな中、中庭で独りベンチに座る女性を見かけた。
あれは・・・姉貴?
中庭のベンチに座っていたのは姉貴で、何だかひどく落ち込んでいる様子だった。
珍しく落ち込んでいる様子だが、一体何かあったのだろうか?
俺は何も言わずに、そのままそっと隣に座った。
「・・・柩、お疲れさま」
「お疲れ、何かあったのか?」
「まぁね、ちょっと失敗しちゃって、ひどく説教されちゃってね。
私の渡したカルテが間違っていてね・・・危うく患者の誤診をするところだったのよ」
なるほど、間違って別人のカルテを見て診断を下そうとしてしまったのか。
確かに初心者ならではの間違いだが、姉貴はもう何年もここへ勤めている。
そんな姉貴が失敗するなんて、珍しい。
それにしてもまたひどく怒られたんだろうな・・・。
いつもあんなに元気な姉貴がここまでおとなしくなっているんだから。
最初はそう思ったが、それは違う。
姉貴の事だから、怒られたことに対して落ち込んでいるんじゃない。
きっと患者の身になって考えて反省していたんだろう。
「そう言った間違いはあるけど、今回はカルテを間違えたことに気が付くのが早かった。
結果、誤った処置を施さずに済んだ、誰も傷ついていないから良かったじゃないか。
それで手を出していたら姉貴は間違いなく、此処から追い出されていただろ?
患者に文句言われたって、どうってことない。
俺なんか、変な噂流されてるんだぞ」
「そうよね、確かに誰も傷ついていないわね・・。
こんなことで落ち込んでいたらきりがないわよね!」
姉貴が元気になったようで、安心した。
元気がない姉貴なんか、らしくもない。
いつも元気に振る舞っている姿の方が、よく似合っている。
姉貴のは一時的だが、俺はいつまで続くのか全く予測できない。
噂って広まるのが早いし、広まっていく際余計な情報が付け足されてしまう事が多い。
もしかしたら、今流されている噂もまた最初とは異なったものかもしれない。
そう考えると、とてつもなく不安になってきた。
思わず、俺はため息をついてしまった。
「あの噂なら私も耳にしたわよ。
好き放題言われているけど、あのままでいい訳?」
「変に否定をすれば、返って怪しまれるだろ?
・・・噂が消えるまで気長に待つよ」
「それじゃあ、遅いじゃない!
ちゃんと弁解しないと、院長から呼び出しを食らって追い出されるわよ」
それは俺もよく理解している。
だけど、下手に否定すれば怪しく見えるし、もし俺だったら怪しく思う。
このままの方がいいんじゃないかと思うんだよな。
いっそのこと、このままギャンブルを始めてしまってもいいかなと考えていたりもする。
ギャンブルをすれば、嫌なことを全て忘れることが出来る。
噂が流れているなら、いっそ実現させてやろうか。
俺が黙っていると、姉貴がその場で立ちあがった。
「私が今から抗議しに行ってあげるわ!」
「いや、いいよ・・・このままで。
頼むから変なことはしないでくれ」
姉貴が俺を庇ってくれるのは、すごく嬉しいことだ。
俺の為にそこまで行動を起こしてくれることも嬉しい。
だけど、俺はやっぱりダメな奴なんだ。
この状況を利用して、再びギャンブルを始めようかと考えている。
あんなに苦労したと言うのに、また戻ろうとしている。
現実から逃げ出してしまいたい。
嫌なことは聞きたくないし、見たくもない。
ギャンブルは、そう言ったことから解放してくれる力を持っている。
「まさか、再びギャンブルに手を出すつもりじゃないでしょうね?」
「・・・」
「絶対だめよ、何のために自己破産したと思っているの?!
とにかく、絶対にギャンブルはダメよ、いいわね!!」
そう言って、姉貴は去ってしまった。
駄目と言われても、したいものはしたいんだ。
どうせ、何も楽しい事なんかないんだから、いいじゃないか。
自己破産をしたから、もう金を借りることは出来ない。
だが、少しだけ貯金が残っているから、その金を使ってギャンブルをすることが出来る。
もういいか、ギャンブラーに戻っても。
何を言ったってどうせ信じてもらえないんだったらいいよな・・・?
俺は帰り支度をして、そのまま夜の街へと繰り出した。
繰り出すと言っても毎日帰りが遅いから、変わり栄えはしないのだけれど。
パチンコ屋のネオンが俺の目に飛び込んでくる。
まるで、俺を誘っているかのように。
俺は誘われるがまま、パチンコ屋へと入って行った。
中は騒々しくて、最初はうるさいと思ったがそれがだんだん心地よくなってきた。
そうだそうだ、こんな感じだったよな!
「まぁ、少しくらいならいいだろう」
そう言い聞かせて、俺は千円札を入れて早速パチンコを始めた。
この感覚、すごく懐かしい。
気が付けば、俺は見事にはまってしまっていて財布の中身も小銭だけになってしまっていた。
まずいと最初は思ったが、その思いはすぐに消え去った。
久々にパチンコをやったら楽しかった。
勝つことは出来なかったが、次こそは勝てそうな気がする。
今日はこの辺にしておいた方がいいだろうか。
貯金を下ろしてギャンブルをしてもいいけれど、今日はそこまでギャンブルがしたいという気持ちに駆られなかったからいいか。
また明日来てやればいいだろう。
今日は家に帰って、ゆっくり休もう。
明日からまた根も葉もない噂で振り回されることになるのだから。
ギャンブラーと言うのは本当だが、女遊びなどしていない。
むしろ、女になんか興味などない。
駅まで向かっていくと、反対ホームに水梨を見かけた。
あれは・・・。
一緒に立っているのは、あの病院で働いている看護師じゃないか。
俺の噂を流すより、自分が噂で流されればいいのにと思ってしまう。
「水梨医師なんでしょう、黒音医師の噂を流したのは。
黒音医師はそんな人ではないのにぃ」
「いいんだよ、もしかしたら女好きかもしれないだろ?
大体、ギャンブラーが医師になるなっての」
「言い過ぎですよぉ」
二人がけらけら話しながら笑っている。
そんなに俺のことが気に入らないと言うのか?
何かしたわけでもないと言うのに?
言い過ぎと言いつつ、看護師もけらけら笑っている。
それ、本気で庇っていないだろう?
バカにした笑いだとすぐに分かり、俺は唇をかみしめた。
どうして、親しくもない相手にここまで言われなければならない?
その瞬間、水梨がこちらに振り返ってきた。
しかし、俺はタイミングよく着た電車の車体に隠れた。
今は会いたくない。
あんな所から何か言われたら、たまったもんじゃない。
周囲には人がたくさんいるから、その人たちにも知られてしまう事になってしまう。
電車に乗り、反対ホームを背にして座った。
「あいつもいつか痛い目を見ればいいのに」
俺に対して悪く言うのは構わないが、噂にして流すのは卑怯だ。
なぜ、周囲の人物たちにまで言い流すのか。
やり方が汚く、水梨の性格を物語っているように感じた。
余程、俺を悪者にしたいらしいから、俺もその期待に応えようかと思った。
俺の事を悪く言う連中に対しては、一切気を遣わない。
そんなことを考えながら座っていると、最寄り駅についた。
俺は本屋へ行き、ギャンブルに関する本を何冊か購入した。
以前も、毎月こんな風に雑誌を購入しては、次の手を考えていたっけ。
久々に見る雑誌には、新しい情報が掲載されていて食いつくかのように見た。
新しくできたパチンコ屋とかの情報も掲載されている。
いつの間にか、新しいことが増えていて俺は思わず何度もそのページを見てしまった。
ギャンブラーを辞めたつもりだったが、今では再びこうして熱中し始めている。
姉貴には止められたが、やっぱり手を出さないと言うのは難しい。
現実を受け入れたくなくて、俺はギャンブルに手を出してしまった。
ストレス解消できることは、やっぱりギャンブルしかないんだ。
我慢して爆発してしまうよりは、ギャンブルをして解消してしまう方がいい。