何が起きたのか分からなかった。
それは目の前で起きた一瞬に出来事だったから、整理できなかった。
周囲から聞こえてくる悲鳴と大声。
どこからともなく聞こえてくるサイレンの音。
目も前に広がっている真っ赤な世界に、眩みそうな鉄のような臭い。
そして、俺の顔や洋服にべっとりとつき染み込んでいる赤い液体。
俺の目の前には、変わり果て血まみれになっている姉貴。
これ・・・夢、だよな・・・?
気が付けば、もう俺の視界は真っ暗に閉ざされた・・・。
俺は意識を取り戻し、その場でバサッと起き上がった。
その瞬間、頭痛に襲われて俺はその場で頭を抱え込んだ。
気が付けば俺は病院のベッドの上で、夢じゃなかったのだと思い知らされた。
じゃあ、あれは・・・夢じゃなくて、・・・げんじつ?
「あの、一緒にいた女性はどうなりました?!」
「すぐに緊急オペをしたのですが間に合わなくて・・・。
先程息を・・・・引き取られました」
「!?」
あまりにも突然のこと過ぎて俺は言葉を失った。
息を引き取ったって・・・それってつまり・・・死んだっていうことか?
そもそもどうしてこんなことになった?
・・・・思い出せ、思い出すんだ!
確か仕事帰り、一緒に行きたい場所があると言われて繁華街を歩いていて・・・。
歩行者用の信号機が青だったから渡っていた。
その時、信号を無視してきたトラックが突っ込んできて、姉貴を庇おうと俺が身を乗り出した。
しかし、姉貴はすぐに自らの身体を俺の前へ差し出し、逆に庇い返した。
・・・それで、あの現状になったんだ。
看護師の話では、他にも死傷者が出て現在も手術中の人がいるのだとか。
俺も頭を強く打って、軽い脳震盪を起こしていたらしい。
俺は無理を言って、今すぐ姉貴に会わせてもらえるよう頼んだ。
すると、霊安室まで連れて行ってくれることになった。
―ガチャ・・・
ドアをそっと開けると、部屋の真ん中にある台の上で横たわる人物が見えた。
俺は傍まで近寄り、顔に被せられた白い布をそっとはぎとった。
・・・・っ!!
そこには眠っているかのような姉貴がいた。
その顔はどこか安からに眠っているような様子で、未練なんかない感じで。
幸せそうに眠っている様にも見えた。
「なんで・・・なんで、そんな幸せそうな表情、してるんだよ・・・!
俺の事なんか、庇わなくても・・・良かったんだよ」
いくら怒ったって、姉貴は眠ったまま口を開くことはない。
姉貴の頬に触れるともう冷たくなっていて、俺とは違うんだって知った。
さっきまでは温かったんだ、俺を庇ってくれたあの時までは温かかったんだよ。
俺の名前を呼んで笑ってくれていたんだよ。
柩はこれから頑張らなきゃね、なんて言って笑っていたんだよ。
俺の目をしっかり見てくれていたんだよ。
それなのに、今は眠ったままもう二度と目を覚ますことはない。
思わず涙があふれて、止めることが出来なかった。
さっきまでは、本当に元気だったんだよ・・・元気だったんだ。
元々は信号を無視した運転手が悪いが、俺がしっかり庇うことが出来なかったことにも非がある。
まさか、姉貴が俺を庇うとは思わなくて何もしてあげられなかった。
「ごめん・・・守ってやれなくて・・、ほんとうにごめん・・っ」
ただ謝る事しか出来なくて、ただ泣き崩れることしか出来なくて。
情けなくてみっともないと思っていても、他に何も出来ないから。
姉貴の手を握りながら、俺はその場にバタンと崩れてしまった。
両親を喪った時、姉貴がそばにいてくれたから寂しさを乗り越えることが出来た。
だけど、今はひとりぼっちだから。
寂しさを乗り越えることなんか弱い俺にはとても出来そうになくて。
ただただ不安と悲しみに呑み込まれてしまいそうになる。
霊安室には、俺の無く声がこだまして反響している。
とうとう俺一人になってしまった。
今まで姉貴がそばにいて支え続けてくれていたことが、俺にとってどんなに大きなものだったのかという事を、今更になって知った。
当たり前だと思い込んでいた自分が恥ずかしくて、バカみたいだ。
本当はとても特別なことだったのに、いつの間にか一緒に居られることが当然だと思ってしまっていた。
姉貴を喪ってしまった今、俺はどうすればいいのか分からないんだ。
男のくせに情けないと思うかもしれない。
だけど、本当の事だから仕方がない。
それから俺が何時間泣き続けていたのか、全く覚えていない。
入院生活も終わって、再び医師として復帰したけれど心此処に在らず、といった感じだ。
院内でも俺を気遣っているのが一目でわかる。
気遣ってくれるのは本来嬉しい事なのだが、そこまであからさまに気を遣われると何だか惨めになってくる。
中にはお気持ちはわかりますが頑張って下さいね、なんて言う連中もいる。
お気持ちはわかりますが?
確かに想像することくらいなら出来るかもしれないが、想像と現実では大きく異なる。
簡単に気持ちが分かりますなんて言ってほしくない。
そう思うのは俺の性格が歪んでいるからなのだろうか?
それに頑張って下さいって、まるで俺が頑張っていないみたいじゃないか。
俺は今までギャンブルをやって人生を台無しにしてきたし、迷惑もかけてきたかもしれない。
そう思って反省する意味合いも込めて、ギャンブルをきちんと断ち切って借金返済を一生懸命に頑張ってきた。
それなのに、どうして姉貴を喪う事になった?
俺はちゃんとギャンブルも辞めて借金も返済していると言うのに、どうしてこんな目に遭う?
「・・・どうして、こんな目にっ!」
結局俺は独りになってしまった。
どんなに頑張ったって、こんな仕打ちを受けるくらいならもう頑張る気力がない。
神と言う存在を俺は信じていないし、認めてもいない。
ただ、運命は最初から決められているような気がするんだ。
つまり、此処が運命の分岐点、と言うやつなんだろうと思う。
これをきっかけに頑張り続けるか否か。
幸い、俺には恋人なんかいないし家族もみんな喪ってしまった。
もうこれ以上失うものなんかないんだ。
例え、このまま借金返済を続けたって良い事なんかありゃしないんだ。
恋人が出来たって、結婚したって運命はどうせ俺から奪うんだろう?
だったら俺の方から願い下げだ。
いつかは独りになる、そんなことはわかっているつもりだった。
だけど・・・あまりにも残酷な仕打ちに腹が立って仕方がないと同時に悲しみもある。
俺の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じる。
「もう・・・ダメそうだ」
俺は呆れて笑うしかなかった。
夜の繁華街を独り彷徨いながら、ぐるぐると思考を巡らせていく。
あれからトラックの運転手は居眠り運転だと分かり、危険運転致死傷罪で逮捕された。
本人に反省している色はなく、休みをくれなかった上司のせいにしているらしい。
だからこそ余計に腹が立つんだ。
多くの人の命を奪っておきながら、全く反省していないとなれば罪も重たくなる。
その時、俺の目に入ってきたのはとあるパチンコ屋だった。
・・・久々にパチンコでもして憂さ晴らしでもするか。
そう思ってパチンコ屋へと足を踏み入れると、ガラッと世界が変わった。
そこには以前慣れ親しんだ懐かしい光景が広がって、目を見開いた。
久々に台を見つけて、千円札を入れて玉を打っていく。
・・・この感覚、まだ。
「・・・覚えてる」
パチンコを打っていくとすぐに玉が尽きてしまい、さらに金を投入して打ち続けていく。
そう、この感覚だった。
憂さ晴らしのために始めたパチンコだったが、気が付いたら数万円も使っていた。
辞めようと思ったが身体が勝手に動いて抑制が出来ない。
ちょっとしたフィーバーが発生して、俺は更に夢中で玉を打ち続けていく。
閉店である23時を回ったころ、俺は外に出て夜風を浴びた。
今日はツイていたのか、短時間で10万円手にすることが出来た。
ギャンブルの魅力は、少ない賭け金が短時間でその倍にまで膨れ上がると言う部分。
だからいつまでたってもやめられなくなってしまう。
久々にやったパチンコがあまりにも楽しく感じて、少しずつ夢中になった。
「・・・黒音?」
突然名を呼ばれて振り返ると、そこには水梨の姿があった。
もしかして、水梨もギャンブルをしていたのだろうか。
水梨は俺を見て驚愕し、駆け寄ってきた。
何をそんなに驚いているのか俺には全く理解できない。
俺たちは場所を変えて、近くの森林公園へと向かった。
こんな繁華街のど真ん中で立ち止まっていたら、他の通行人の邪魔になるから。
公園につくと静寂に包まれて、時間が遅いから人もほとんどいない状態だった。
「黒音、お前・・・なんでパチンコしてたんだよ?
お前、オレにギャンブル辞めろって言った癖に」
「もう、どうでもいいんだ、・・・どうでも」
「彩の事があってから、お前なんか変・・・」
「そういうお前こそ、やけに落ち着き払っているじゃないか。
何かあったのか・・・?」
いつも感情的だった水梨が珍しくおとなしいから、何だか気持ち悪い。
それとも俺が壊れて狂ったのか?
水梨の話を聞くと、あれから自己破産をして何もかも失ったらしい。
今は残されたわずかな金で、マンガ喫茶などで寝泊まりしている生活を送っていると言う。
相変わらず転職はうまくいかなくて、今も仕事を探しているのだとか。
姉貴の事は、知り合いの医師から聞いたらしく把握しているようだ。
俺は暗くなった夜空を仰ぎながら、大きなため息をついた。
何だか何もかもがどうでもよくなって、水梨にすべてを打ち明けた。
すると、水梨から意外な答えが返ってきた。
「偉そうなことは言えないけど・・・今のお前、お前らしくない。
お前ってさ何が正しくて何が間違いなのか、ちゃんと理解できる奴だろ。
・・・何やってんだよ」
もっと何か言われるだろうと思っていたのに・・・。
すごく非難されるとばかり思っていたのに、どうして非難しない?
俺らしくないって?
俺はもともとギャンブラーとして過ごしていて、それ含めての俺だと思っていた。
何が正しくて何が間違いであるのか、それがちゃんと理解できる奴ってそう思ってくれていたのか?
今までずっと忌み嫌われているのかと思っていたが、どこかでは認めてくれていたということなんだろうか・・・どうしてそう思ってくれているのだろう。
「なぁ、お前はさ・・・ちゃんと借金を返済できているんだから頑張れよ。
お前はオレとは違うんだからさ、な?」
水梨が真面目な表情をして言ってくる。
その言葉に全く嘘も嫌味も感じなかったから、本音なのだと分かった。
姉貴がせっかく止めてくれて支えてくれたから、ギャンブルを絶ち切って現在を過ごしている。
だけどさ、やっぱり急に独りにされたら・・・寂しいんだよ。