毎日が平穏に過ぎていく中で、俺と姉貴は周囲にきちんと関係性を説明することになった。
院長に相談を持ち掛けたところ、やはりそう言う事はきちんとしておくのが良いと言われて。
きちんと説明をしたら、皆理解してくれて本当に助かった。
ややこしいことにならなくて済んだけれど、思っていたよりも偏見を持っている人が少なかった。
もっと多くの人達が変に思っていると思ったが、そうでもなかったみたいだ。
そして、ギャンブルをしている連中から久々に誘われたが断るようになった。
以前の俺だったら、きっと迷わずついて言っていると思う。
だけど今では断れるようになったから、俺にとっては大きな成長だ。
病院に勤めている者達の中には、ギャンブルが好きな連中も結構いる。
だから、最初は本当に克服できるのか心配だった。
誘惑があまりにも多すぎて、本当は自信が無かった。
それが今ではきっぱりと断れるようになったから、大したものだ。
「よっ、黒音!
最近、散々だったけど大丈夫か?」
やってきたのは、俺と同期で親しい奴だった。
こうして話すのは久しぶりだから、何だか不思議な感じがするな。
彼と話すのは久々だが、仕事上では結構話している。
彼は外科医だし、なかなか院内でも顔を合わせることが少ないから、今日は珍しい。
すると、彼が身を寄せてきた。
一体何の話なんだろうか?
俺も身体を近づけると、彼が話し始めた。
「たまには、カジノでも行かないか?
オレ、いいところ知ってるんだ」
何かと思えばギャンブルの話だったのか。
悪いがギャンブルはやめたんだ、と告げると彼は笑いながら残念だ、と言った。
昔の俺だったら、間違いなくギャンブルをしていたと思う。
俺が断ると、彼はなぜか急に気まずそうな表情を見せて黙った。
一体何があったのか聞こうかと思ったが、目線を追って俺は黙り込んでしまった。
その彼の視線の先には、水梨の姿があった。
一人でとぼとぼ歩いている。
最近、さらに覇気がなくなったような気がするな。
俺が水梨を目で追っていると、彼が口を開いた。
「実はさ、水梨のヤツ借金がすごいことになってるらしいんだ。
あくまでも噂だから分からないが、借金が1000万円あるみたいだ」
「1000万円?!」
「ああ、あいつとうとう裏カジノに手を出したみたいなんだ。
ったく、ホント馬鹿な奴だよ、あいつは」
そうか・・・水梨は1000万円もの大金を借金しているのか。
俺も他人の事をとやかく言う事は出来ないが、それでもその金額はあり得ない。
ちゃんと毎月の返済をしているのだろうか?
俺だって何とか借金を返済している状態だが、水梨は階級もそのままだし残業だってしていない。
それだと収入も限られてきてしまうから、返済も大変なんじゃないかと思う。
俺は出来るだけ残業をしているが、水梨は全くそんな様子がない。
いいのか、このままで・・・?
俺はきちんと担当者と相談をしながら、返済金額を決めた。
それで、現在毎月の返済を行なっているが、余裕のある時は繰り上げ返済するようにしているから、その分の利息が浮いている。
返済は出来るだけ早く済ませてしまいたいから、余裕のある時は早く返したい。
1000万円だと、一体何年の月日で完済できるんだ?
すると、俺の携帯電話が鳴った。
確認すると、その相手は金融会社の担当者からだった。
「はい、黒音です」
「お忙しいところ申し訳ございません。
黒音さん、今月のご返済はどうなされますか?」
「少し余裕がありますので、繰上げ返済します」
「ありがとうございます。
黒音さん、何だか少しずつ変わってきましたね。
無理せずご返済していただけましたら幸いでございます」
「いえいえ、ありがとうございます。
計画的にきちんと返済致しますので」
そう言って電話を切った。
担当者から連絡が来るのは、今日が初めてではない。
今までにも何度か来ているし、きちんと話しているから大丈夫だ。
ちゃんと近況を報告しながら、返済を進めている。
通常だったらこんなことをしないが、俺は確認してもらうようにしている。
何も音沙汰が無いままでは何だか怠けてしまいそうだから。
それを防ぐ為にも、連絡をしてもらっている。
一度怠けてしまったら、戻るのが大変になってしまうから。
「黒音医師、こんなところにいた!」
やってきたのは、先日父親がギャンブル依存症だと話していた女の子だった。
息が乱れているところからして、俺を見て追いかけてきたのだと分かった。
肩で息をしながらも、呼吸を整えて話し出そうとしている。
俺は何も言わず、そのまま彼女の様子を見守る。
下手に話しかけるのも良くないと思って、彼女が話し出すのを待った。
ようやく呼吸が落ち着いてきた彼女は、俺の顔をじっと見つめてきた。
何かあったのだろうか?
呼吸が復活した彼女は、口を開いて話し出した。
「あのね、お父さんがギャンブル依存だって言ったでしょ?
・・・そのお父さんが、競馬の雑誌を捨てたの!
今まで私達が触れることさえ嫌がっていたのに、自分から捨てたの!」
「おー、それはかなり前進したな!
その調子でゆっくり、克服していけるといいな」
「うん、焦りは禁物だよね?
パチンコも辞めてくれるといいな・・・」
「そうそう、焦らせてしまうと良くないからゆっくりがいい。
少しずつ慣れてきたら、パチンコもしなくなるさ」
そう言うと、彼女は安心したのか笑顔を見せた。
焦って物事を進めてしまうのは良くないことだから、ゆっくりが良い。
自ら競馬雑誌を捨てたと言うのは、なかなか大きな前進だと俺は思っている。
実は、俺も雑誌を捨てられるまでに時間を費やしている。
それが出来たのなら、少しずつギャンブルも克服していけるんじゃないかと思う。
問題は、ギャンブルに誘われてきちんと断ることが出来るかどうか。
俺は断ることが出来なくて、ずるずるギャンブルを始めてしまった。
彼女のお父さんは、きちんと断ることが出来るだろうか?
断るのもまた違った勇気が必要となる。
「ギャンブルを本気で克服したいのであれば、店に近付かないことだ。
看板を見ているだけでもやりたくなるから、気を付けた方が良い」
「元ギャンブラーである黒音医師だからこそ、説得力がある!
お父さんがちゃんと克服できるように、サポートしてやってくれ」
「うん!わかった!!」
元気の良い返事に、思わず俺も笑ってしまった。
ギャンブル依存症を克服するには、周囲の協力も必要になってくるから。
サポートをして支えてくれるような人が居なければ、ダメになってしまう。
俺の時は姉貴が居てくれたけれど、彼女のお父さんは彼女が居てくれているから問題ないだろう。
彼女と少し話して、それから別れた。
順調に進めばいいんだけどな・・・。
そんなことをしているうち、あっという間に夕方になってしまった。
今日もまた残業をして、少しでも返済に充てなければ。
気分転換に外へ出ると、いきなり大きな音が聞こえてきて、俺はその場で足を止めてしまった。
今の大きな音は何だったんだ?
俺は恐る恐る、中庭の方へと歩いて行った。
そこに黒い影が見えて、俺は思わず身をひそめてしまった。
たぶん隠れる必要なんかなかったと思うんだけど、身体が勝手に動いてしまった。
「お前、今月の返済どうなってんだよ!!
さっさと払わねぇとタダじゃ済まさねぇからな!」
「先月分だって返済してねぇじゃねぇか!!
なめてんのか、コラァ!」
「・・・すみません・・・、ごめんなさい・・」
そこにいたのは、ガラの悪い借金取りと水梨だった。
隠れて正解だったのかもしれない。
通り過ぎていく看護師などに、水梨がお金を貸してくださいと頭を下げている。
あのプライドの高い水梨が。
周囲は驚愕し、怖くなったのか皆して水梨を避けて通り過ぎていく。
怖いと思うのは俺も一緒だ。
いきなり金を貸してくれと言われたって、びっくりしてしまう。
あの様子だと、消費者金融だけではなくて闇金にも手を出してしまったようだ。
実は、俺も一時期あまりにもギャンブルにハマってしまい、闇金から金を借りようとした。
すぐ我に返って思いとどまることが出来たが、水梨は思いとどまることが出来なかったようだ。
「もっとしっかり頼まねぇから、誰も金貸してくれないんだろ!
ちゃんとやれよ!!」
怒号を飛ばされつつも、水梨は頭を下げ続けている。
俺の事を元ギャンブラーとして馬鹿にしてきた奴が、今ではギャンブラーになり闇金にも手を出して、堕ちるべきところまで堕ちてしまっている。
絶対俺の様にはならないと思っていた人物が、目の前で変わり果てた姿になっている。
だが、なぜだかかわいそうだとは思わなかった。
それは俺が色々嫌がらせをされてきたからかもしれない。
そもそも闇金に手を出したのが悪いんだよな・・・。
俺は見ていられなくて、そのまま反対側から遠回りをしていくことにした。
下手に絡まれるのも面倒だし、時間が経てば解散するだろう。
そんな水梨を見てクスクス笑っている連中がいる。
それはかつて水梨の肩を持っていた連中で、今では蔑むように嗤っている。
「何がそんなに面白いんだよ。
お前ら、ヘラヘラ嗤ってんじゃねぇぞ」
俺が敵意を向けると、連中は顔色を変えて逃げるかのように立ち去って行った。
逃げるくらいなら笑うなっつーの。
なんて下らない連中がこの病院には集まっているんだ。
もう少しまともな人間が多いのかと思っていたが、そうではなかったようだ。
確かに水梨には嫌がらせをされたが、水梨の気持ちはなんとなくわかる。
実は俺もかつてはギャンブルにハマった時、金に困って闇金に手を出してしまいそうだった。
闇金は審査もないし、すぐに金を貸してくれるから。
しかし、俺が思いとどまったのは、その瞬間姉貴の顔を思い出したからだ。
闇金について冷静に考えてみたら恐ろしくなったんだ。
一生苦しむことになると一瞬で悟って、闇金には手を出さずに済んだが水梨は手を出した。
それが、俺と水梨の大きな違いだったのかもしれない。
ギャンブルは人を変えてしまう、まるで別人のように・・・・。