今までパチンコ屋の看板を見るだけで、身体が勝手に動いてしまっていた。
電車内に捨てられている競馬新聞を見ては、競馬に通い馬券を買っていつも悔しい思いをしていた。
一時期は裏カジノまで通い詰めようかと考えていた。
今思えば、通い詰めなくて良かったと心底思っている。
俺が作った借金が膨れ上がってしまうから。
一時期は本当に何もかもがどうでもよくなって、ギャンブラーとしてこの生命を、人生を終わらせてもいいなんて思っていた。
何もかもが嫌になって闇に堕ちてしまう所だった。
けれど、姉貴が居てくれたから俺はこうして立ち直ることが出来たんだ。
もし姉貴がいてくれなかったら、今頃俺は取り返しのつかないことになっていたに違いない。
本当に感謝しなきゃいけないな・・・。
現在は、自分で作ってしまった借金も少しずつ返済しつつある。
どうにかして生きている間に返済できそうだからまだいい方かもしれない。
それに、毎月の返済をしていくことで分かったんだ、金の有難みとか大切さ、重みとか。
ギャンブルであっという間になくなってしまう大金を仕事で稼ぐと言うのは、本当に大変なことなのだと。
「バカだったよな・・・本当に」
あっという間に大金が消えてしまう、これがギャンブルの恐ろしさ。
稼ぐのは大変だと言うのに、なくなるのはあっという間。
それをきちんと理解したから、真面目に働いて返済していこうと考えている。
ただ、あれからいくつか変わったことがある。
一つ目は、医局長から内科医勤務の異動が言い渡されたこと。
元々は内科医を目指していて実は内科医の医師免許を持っている。
心療内科を選んだのは、俺と同じギャンブラーの人達の悩みを聞きたいからだった。
どんな悩みを抱えているのか、俺も同じギャンブラーだったからと言う理由で。
だが、今思えばその時の俺はまだギャンブラーとしての気持ちが抜け切れていなかったのだと知る。
話を聞けば聞くほど、ギャンブルがしたくてたまらなかったからだ。
「・・・克服した気でいたとは」
あの時は本当に克服したと思っていたんだ。
考えが甘かったと知り、現在ではギャンブルに手を出さぬようきちんとしている。
二つ目は、俺の診察を予約してくれる患者さんが増えたこと。
いきなり内科医に異動なんて大丈夫かと不安に思っていたが、その心配は無駄なものとなった。
自分でも驚くくらい、一日に診る患者さんの数が増えて猫の手も借りたい忙しさとなった。
忙しいのは有難いことではあるが、毎日夜遅くまで仕事をするのは大変だし、疲れも溜まってしまう。
患者さん達から、色々な話が聞ける点は嬉しい事なのだけれど。
孫の話とか学校の話、仕事の愚痴など色々な話を聞くことが多くなって、楽しい日々を送っている。
俺でも役に立てることが嬉しいけれど、小学生以下の子供を診察する際には困ることも多い。
注射する際に泣いて暴れてしまう子、母親から離れようとしない子など、俺は日々奮闘している。
これはこれで充実しているのだけれど。
「うっうー・・・!」
今だって目の前で、小さな腕を見せて今にも泣きそうになっている女の子がいる。
もうすぐインフルエンザの季節が到来するため、内科には予防接種をうちに多くの人達がやってくる。
すでに風邪をひいている人は接種を受けることが出来ないため、一度完治してもらってから来てもらう事にしてもらっている。
目の前で怖がる女の子の腕に注射針を刺すと、やはり泣き出してしまった。
余程怖く思っているせいで、痛みも増しているのだろう。
それでも暴れる事は無く、じっとしている。
暴れると俺が大変だと悟ってくれたのだろうか?
予防接種が終わり、俺はデスクの引き出しからイチゴマシュマロを取り出した。
「よく頑張ったな!
よし、これはご褒美だ、皆には内緒だぞ?」
「!!」
俺が笑いながらそう言って渡すと、女の子ははにかむように笑った。
先程まで泣いていたのに、いつの間にか彼女は涙をぬぐっていたようで、今はすっかり笑顔。
子供と言うのは本当に表情豊かで見ていて飽きない。
俺があげたマシュマロを小さな口に頬張りながら、母親の元へと走っていく。
それに気が付いた女の子の母親が、俺に向かって丁寧に頭を下げてきたから俺も挨拶をし返す。
あれくらいお安い御用だ。
女の子も俺に向かって何度も振り返っては、手を振ってくれている。
機嫌が直ったみたいでなにより。
そして、最後に変わったことは良くないことだった。
あんなにギャンブラーとしての俺を貶し、強く非難していた水梨がギャンブルに陥ってしまった。
以前のような覇気はどこにもなく、いつもどこかピリピリしている様子で周囲も話しかけることをためらっているのが分かる。
仕事はしているようだが、定時になるとすぐ帰ってしまうと愚痴をこぼしている看護師もいた。
かつては俺もそうだった。
仕事が終わるのが待ち遠しくて、仕事が終わると共にギャンブルすることを考えていた。
まさか、あの水梨がそんなことになるとはな・・・。
「黒音医師、そろそろ休憩されませんか?
もう午後ですから、休まれないと疲れてしまいますよ」
「そうだな、少し休憩させてもらうよ」
そう言って診察室を後にした。
廊下を歩いていると、水梨の姿を見つけたがとても話しかけられるような状況ではなかった。
なんて言うか、どんよりとしているとういうか相変わらずピリピリしている雰囲気で、話しかけにくい。
今まで俺の事を散々貶してきたと言うのに、今度は自分がそうなってしまうとは。
人生、何が起こるのか全く分からない。
俺だってあんなにギャンブルをしていたと言うのに、現在ではきちんと返済をしながら役職もあがることになった。
今はまだ借金が残っているけれど、この借金だっていつか完済する。
完済した暁には、ビールを飲みながら少し奮発して高いつまみでも買おうかな?
すると、水梨が急に方向転換してこちらへやってきた。
急に方向を変えるからびっくりして、俺はその場で足を止めてしまった。
冷酷な眼をして俺を見てくる水梨。
そんな眼で見られたって、俺にはどうすることも出来ない。
俺のすぐ横を通り過ぎる際、水梨がある事を小声で告げてきた。
“このままで済むと思うなよ”と。
その言葉の意味が俺には理解できなくて、首を傾げる。
大体こんなことになったのは俺のせいではなく、水梨のせいじゃないか。
もっと言えば、身から出た錆というやつだろうか。
それにしても、一体何をするつもりなんだ?
そんなことを思いながら休憩室へと向かっていく。
何だか疲れてしまったから、今日は少しだけ眠ろう。
ベッドへ横になり、俺はそのまま意識を深く落としていった。
目を覚ましたのは、ちょうど一時間後。
外は暗くなり始めていて、廊下の灯りがまぶしく感じる時間帯だ。
こうしている間にも、患者が多くついてしまうから、早めに準備をして診察室へ向かったら、待合室に患者の群れが出来てしまっていた。
このままではさすがにまずいぞ・・・!
急いで診察室へと入り、カルテの準備をしていく。
順番に患者を呼びながら診察を繰り返していくが、一向に患者が減らない。
俺は先程から結構診察しているのに、どうして減らないんだろうか。
気になって、俺は隣の診察室を確認した。
そこには水梨と仲の良い男性医師の姿があり、患者と何かをずっと話している様子だった。
ずっと世間話なんかしているから、患者の数が減らなかったんだ。
「ちゃんと診察してくれよ!
患者が詰まってるんだよ」
「お前に指図なんかされたくないんだよッ!!」
「言われたくなかったら、ちゃんとやれよ!」
指図をされたくないのであれば、もっとちゃんとやってほしい。
俺だって言いたくて言っているわけではないし、ちゃんとやってくれれば文句だって言わない。
世間話に付き合う事も大事だが、こんな混んでいるときは手短にすべきだ。
それなのにグダグダ長々と話されていたら腹が立つ。
その間にも、俺は患者を順番に診ていく。
てきぱきとこなしていくことで、少しずつ患者の数が減ってきた。
中には若い人の姿もあり、学校の愚痴などを聞かされることもあった。
「なんか黒音医師と話していると、落ち着くんだよね。
なんでだろう、ホント不思議!」
若い子からそんな風に言われて、俺はびっくりした。
今までそんなことを言われたことが無かったから。
ギャンブラーの時は、自分の事しか見えていなかったけれど、今は違う。
ギャンブルを絶ち切ってから、少しずつ変わってきたことがある。
自分の事だけではなくて、周囲の事もきちんと見えるようになってきた。
まるで子供みたいな自分が情けなく思えてくる。
だが、今の俺はあの頃の俺とは違うから、少しずつ考え方も変わってきている。
「黒音医師って、ギャンブルが好きだったんでしょ?
どうして辞めることが出来たの?」
「俺の場合は、何が大切なのか見極めることが出来たからかな。
俺の事を支えてくれる人がいるから、大丈夫だって思えたんだ」
「変わる事って怖くなかった?」
「最初は変わることに対して怖い気持ちがあったよ。
だけど、変わるって別の自分になるんじゃなくて、成長させるっていう意味だと思った。
今の自分よりもさらに良い自分になるためには必要なことなんだって。
最初は誰だって怖いさ、でも支えてくれる人がいるから恐怖も勇気に変わる」
俺は笑いながら言った。
変わることは、まるで自分が自分じゃなくなっちゃうように思える。
だけど、そんなことではなくてまた一歩成長すると言う意味なんだ。
今まで怖くて俺もなかなか踏み出すことが出来なかった。
だけど、姉貴がそばにいて支えてくれていたから、こうして変わることが出来たんだと思っている。
きっと俺一人だったら何も出来なかっただろう。
そう考えると姉貴の存在はすごく大きなものだと思う。
俺がそう答えると、女子学生が俺の方を見た。
「実はね、私のお父さんもギャンブル依存症なんだ・・・。
いつも帰りが遅くて、お母さんとケンカして・・・離婚の話も出てるの。
お父さんはねギャンブルを辞めたいんだって。
でも、うまくいかなくてパチンコと競馬をするの」
俺も最初は全く同じだった。
周囲の忠告がウザったくて、馬の耳に念仏っていう感じだった。
だけど、よくよく考えるとそれは俺の事を考えてくれているからだと分かった。
それからギャンブルを克服するまでには時間がかかってしまった。
彼女のお父さんも、きっと今が一番つらい時期だと思うから頑張ってほしいと思う。
辛い壁を乗り越えた先には、自分の知らなかったものが多く待っている。
俺は出来るだけ、彼女にアドバイスをして試してみるよう伝えた。
あまりしつこく言い過ぎてしまうと距離を置かれてしまうから、適度に伝えるのが良いと。
俺はその当人だったからよくわかっている。
診察をしながらこうして話を聞いてアドバイスすることも多くなってきた。
「ありがとね、黒音医師!」
俺のアドバイスが少しでも役に立ったのなら、それはそれで嬉しいことだ。
内科医でもあり、その他の事でも気軽に相談できる医師として、今後はより頑張っていきたい。
少しでも悩みを解決してあげられるように。
それから、もっと色々なことを経験して成長していきたい。