そして、あれから2年が経過した。
俺も今ではすっかり32歳になり、あの頃に比べて大人になった。
今思えば、俺は変に大人ぶっていたのかもしれない。
ギャンブル依存症で、あの頃は本当に苦しくて辛かった。
毎日ギャンブルしたいと思っていた自分が、情けなく感じてしまう。
ギャンブル以外に大切なことがたくさんあるのに、俺はそれを全く分かっていなかった。
自分の夢だった店を自らの借金で潰してしまって、俺は壊れてしまっていたが青野が再び俺に新しい店とチャンスを与えてくれた。
一度失ってしまった俺の居場所を作ってくれたんだ。
俺一人では店を回しきれないから、青野にも手伝ってもらう事にした。
といっても、青野も最初から俺と一緒に働いてくれようと思っていたようだ。
だから、俺だけの店ではなくて俺と青野、二人の店だ。
「神宮寺くん、この食材は下処理した方がいいわよね?」
「ああ、それは下処理が必要だな。
青野に任せてもいいか?」
「もちろんよ!」
「頼もしいな」
実は、あれから青野は料理の腕を急に上げてきた。
何でも俺に負けないくらい美味いものを作りたくて、あるレストランで短期間だけ修行してきたんだとか。
それだけあって、料理する段取りや手際の良さが伺えた。
やはり、修行すると人はその分成長することが出来るんだな。
俺も成長してきたが、また同時に青野も成長してきているんだ。
店は結構繁盛していて、あの頃のように再びテレビや雑誌の取材を受ける事も増えた。
そのおかげもあり、現在では客の入りが良くなってきている。
もしかしたら、以前よりも充実した毎日を送れているかもしれない。
「青野、本当にありがとうな」
「何よ、急に改まったりして?」
「いや、感謝の言葉をずっと伝えていなかったと思って。
もうすぐ俺の借金も完済するから、近々飲みにでも行くか」
「賛成ね、しばらく飲みに行っていなかったし。
今まで色々あったから、あまり寄り道も出来なかったものね」
確かに今まではお互い借金の返済で、帰りも遅くなっていた。
少しでも多く働いて給料をもらおうとしていたから、飲みに行くことも少なかった。
少しでも青野に感謝の気持ちを伝えたくて、自然に出てきた言葉だった。
青野は驚いた表情を見せたが、すぐ俺に笑って見せた。
その姿はまるで無邪気な子供のようで、見ていて心が温かくなった。
すると、突然店の電話が鳴り響いた。
何だろうな、まだ開店前だと言うのに予約の電話がかかってくるわけはないし。
その電話に出たのは青野で、神妙な表情をしながら何やら話し込んでいる。
最初は丁寧な話し方で落ち着いていたが、次第に青野が声を荒げていく。
怒っているのではなくて、何か興奮している様子。
「神宮寺くん、ちょっと!」
いきなり青野に呼ばれて、俺は振り返った。
青野が俺の方を見て、受話器をトントン指さしている。
つまり、俺に変われという事なのか?
俺は不思議に思いながら、その受話器を受け取った。
“お電話変わりました”と言って電話に出ると、相手は男性だった。
そのまま相手が話し始めて、俺は言葉を失ってしまった。
一瞬、何て言われたのか理解できなくて、少し固まってしまった
俺は丁寧に答えて、そのまま電話を切った。
「神宮寺くん?」
「俺たちの店が三ツ星を獲得したらしい!
それから、モンドセレクションも受賞したと聞かされた」
「それ、本当?!
何だか夢みたいね、でも神宮寺くんならいつか受賞すると思っていたわ。
だって、それだけの腕を持っているんだもの」
青野が、まるで自分の事のように喜んでいる。
そうか・・・俺たちの店が受賞したのか・・・何だか実感がない。
三ツ星って、そんなに大したことをしていないのにいいのだろうか。
従業員達には、なるべく丁寧に接するように言い聞かせてきた。
それが功を奏したのかもしれない。
しかし、モンドセレクションは自ら応募しなければ審査をしてもらえないはず。
俺が応募していないという事は、まさか青野が?
勝手にしたことだと思うが、それでも怒りはなく嬉しかった。
青野がそれだけ俺の料理が好きで、きちんと理解してくれているという事だから。
「俺たち、今後どうなっていくんだろうな。
今は幸せだけど、もしかしたらギャンブルしていた時のようになるかも・・・」
「それはないわ、だって私がいるもの。
神宮寺くんが道を踏み外しそうになったら、止めてあげる。
私が真っ直ぐ良い方向へ導いてあげるから、心配いらないわよ?」
強気な言い方をする青野を見て、俺は笑ってしまった。
確かに、青野はしっかりしているし何度も俺を支えてくれた。
だから、俺は今こうしてこの場所に足をついている。
普通であることは決して当たり前ではなくて、特別なことなんだ。
ギャンブルをして店と友達を失って、初めて理解できたことが多かった。
今後は、藤崎の分まで頑張って生きていかなければいけない。
「あ、そうだった。
私ね、今週の日曜日休日申請だしているから宜しくね」
「ん、何かあるのか?」
「うん・・・ちょっとね」
何だろうか、歯切れの悪さが気になった。
それに気が進まないような様子に見えるから、なお気になってしまう。
そして、次の日曜日。
天気が大荒れになってしまい、店を臨時休業することになってしまった。
さすがにこの天候では客が来ないし、来てもらっても交通手段もなくなってしまうから。
俺はそんな天候の中、買い出しをするため街を歩いていた。
すると、向こう側の通りに青野が歩いている姿が見えた。
こんな天候の悪い日に何をしているんだ?
気になった俺は、青野の後をつけることにした。
青野が向かった先は、とある墓地である墓石の前にしゃがみ何かを話していた。
何て言っているのか雨音で聞こえなかったが、つらそうな表情をしているのだけは分かった。
「青野、すまない。
見かけたからついて来てしまった。
この墓石は・・・?」
「神宮寺くん、いたの・・・?
これは・・・亡くなった私の旦那のお墓なのよ」
知らなかった・・・青野が結婚していたことを。
それもすでに亡くなっていたなんて・・・どうやら病死ではないようだが。
だが、深く立ち入るのも失礼な気がして、何も言えなかった。
激しく降りしきる雨の中、青野は涙目になりながらうつむく。
何か言いたいことがあるのだと思い、俺はそのまま黙っていた。
その時、青野が口を開いた。
「亡くなった旦那も、・・・ギャンブル依存症だったの。
裏カジノにまで手を出して、気が付いたら借金返済できないほど酷かった・・・。
次第に私へ暴力をふるうようになって、・・私には居場所なんかなくなっていた。
旦那は精神異常をきたして、そのまま亡くなったの」
「そう、だったのか・・・」
「神宮寺くんを見ていたら、神宮寺くんもそうなってしまうんじゃないかって・・。
そう、考えて・・・怖くなって・・・ごめんなさい。
こんなこと話しても、仕方ないのにね・・」
そう言って、青野が涙を流す。
かつて愛して結婚した人物がギャンブルにハマり、精神異常をきたして暴力をふるうようになって自分の居場所を見失ってしまった。
青野にとって、それはとても残酷な仕打ちだったに違いない。
そんな時、俺がギャンブルにハマってしまい、性格が歪み始めてしまったのを見て不安になったんだ。
青野はいつも俺に対して強気な発言を繰り返していたが、それは己の不安を打ち消すために言っていたことなのかもしれない。
俺は何も知らなかったとはいえ、青野をひどく不安にさせてしまっていたんだ。
もしかして、今でも居場所が無いと思っているのだろうか?
そんな事を考えて泣いている青野を見たら、どうしようもなく胸が締め付けられた。
気が付けば、傘を放り出してとっさに俺は青野の身体を強く抱きしめていた。
「不安にさせてすまなかった。
居場所が無いと言うのなら、俺が作ってやる」
「どこに・・・?」
「お前の居場所ならここにあるじゃないか、ここに」
俺は身体を話して、青野の眼をじっと見つめた。
青野はキョトンとしたままだったが、すぐに意味が分かったらしい。
あの冷静な青野が、頬を赤く染めながら涙を流している。
きっと今まで不安や恐怖感と戦い続けてきたのだろう。
だけど、もうその必要はないんだ。
「おいで、俺のことり」
俺がそう言って、手を差し伸べると青野が俺の手を掴んだ。
俺はそのまま青野の手を引き、大切なものを守るかのように抱きしめた。
今まで俺を支えてくれたんだから、今度は俺がしっかり支えて守ってやる番だ。
青野が幸福だと笑って過ごせるよう、俺が努力していく。
俺も一度は人生に嘆き絶望しかけたが、青野にもまた俺の知らない闇があったんだ。
これからは互いに支え合いながら、人生を歩んでいきたいと考えている。
青野が俺を光へと導いてくれる、幸福の青い鳥だったんだ・・・。