「お兄ちゃん、こっちこっち!
ほら、早くしないとなくなっちゃうよ!」
「分かったって、今行くから!」
遠くではしゃいでいる菜月が見える。
菜月が俺を呼ぶから、俺も菜月の方へと向かっていく。
俺の方へと向かって菜月も走ってくる。
ちょっと待て、・・・この光景には見覚えがある。
胸がざわざわしてどうしようもない焦燥感に駆られる。
「駄目だ、菜月とまれ!!
こっちに来るなッ!!」
その瞬間、目の前で菜月がトラックにはねられた。
・・・・っ!!
俺がトラックの運転手を確認すると、運転手がにやりと笑っていた。
この顔・・・誰かに似ている・・・。
そして、次の瞬間、俺は目を覚ました。
額や身体に汗をかき、ベッドにあおむけのまま天井を見つめた。
・・・嫌な夢。
だけど、俺は忘れていた記憶を取り戻した。
そうだ・・・俺は確かあの時、運転手の顔を見ている。
写真を見れば、いや、顔を見ればすぐに分かる。
俺は、急いで警察署へ向かう事にした。
警察署に着き受付を済ませていると、殺意を感じた。
ん・・・なんだ・・?
ひき逃げ事件の件で訪ねると、俺以外にも人が集まっている人が見えた。
そこにいた人達は、あの日あの事故現場にいた人達で、訴えに来たのだと言う。
警察がやってきて、別室へと一人ずつ呼ばれていく。
なんだ、一体何を始めたんだ?
俺も確認するように言われて、部屋へ入ると大きな窓ガラスの向こう側に4人の男が立っていた。
「この中に見覚えのある人物はいますか?」
警察にそう聞かれて、俺は一人ずつ確認していく。
・・・いる、見覚えのあるやつが一人。
間違いない、へらへらしている右から二番目の男。
俺は、その男について警察にすべて伝えた。
すると、鑑識がやってきて指紋が一致したと耳打ちする声が聞こえてきた。
それはやはり俺が見覚えあると言ったあの男だった。
・・・あいつが、菜月を轢いたヤツ・・。
俺は被害者たちの元へ戻り、部屋からあの男が出てきた。
「ひき逃げした割には、誰も死んでね―のつまんねぇ!
もっとスピード出しときゃ良かったぜ!」
全く反省の色が無い。
何なんだ、こいつ・・・まったく悪いと思ってないのか?
誰も死なないのがつまらないだと?
もっとスピードを出しておけばよかった?
菜月は今も意識不明の重体だと言うのに、他の犠牲者だって意識がないと聞いている。
それなのにつまらないだと?
「・・・ふざけんなッ!!」
俺はその男の胸倉をつかみ、思い切り顔を殴り飛ばした。
警察が間に入って止めようとするが、俺はすぐに理性を取り戻してその場に立った。
俺だってそこまで馬鹿じゃないし、暴行罪にならない程度に手を出したつもりだ。
誰もが驚きながら俺を見ているが、俺はお構いなしにその男を睨み付けた。
男はまだへらへら笑っている。
俺に殴られてもまだ反省していない。
「ギャンブルで大損して、むしゃくしゃしたからやったんだよ!
あれくらいの腹いせでいちいちピーピー騒ぐなっての!!」
「ギャンブルで大損したからやった?
ふざけんな、お前みたいな馬鹿に殺されたら、たまったもんじゃねぇんだよ!!
大損してむしゃくしゃしたなら、他人を傷つけないでお前がさっさと自殺でもなんでもすりゃあいいじゃねぇか!
他人の幸せや未来を奪う権利なんか、お前みたいなクズにはないんだよ!!」
「なんだと、お前もういっぺん言ってみろよ!!」
「安心しろ、お前が死んだところで何も変わんねぇから。
他人に迷惑かけて苦しめて、生命を奪うくらいなら死んでくれた方が世の中の為じゃねぇか」
俺がぶちぎれて言いたいことを言うと、男は黙り込んでしまった。
警察は言い過ぎだと俺に口頭注意したが、俺は言い過ぎだなんて思ってない。
こういうことは、はっきり言っておかないと意味がない。
ただ、意外だったのは被害者たちが俺の言ったことに賛成してくれていたことだった。
他人を傷つけるくらいなら、自分自身を傷つけろという言葉に納得したようだ。
男は俺に言われたことがショックだったのか、ひどく動揺して動けなくなっていた。
警察官が腕をつかんでも、まともに歩けていないほど。
俺だってギャンブルで大損して、むしゃくしゃしたことがあったが誰かに危害を加えたりしなかった。
それは間違っているとちゃんと理解していたから。
とにかく、犯人が捕まってよかった。
後は、法の裁きでどうなるかという事だな・・・出来るだけ思い罰を下してほしい。
俺は病院へ向かい、お袋と菜月の病室へと向かった。
そこには尚原の姿があり、二人を見守ってくれていた。
せっかくの休日だと言うのに、わざわざ・・・来てくれたのか?
「海老原、ごめん心配で来てしまった」
「いや、心配かけてすまない。
せっかくの休日なのに、いいのか?」
「ああ、俺も心配だからな。
少しでもお前の力になりたいんだ」
尚原は笑いながら言ってくれた。
俺がこんなこと言うのもおかしいが、女だったら惚れてるくらい優しい。
思いやりがあって男らしくて、本当に非の打ち所がない。
入院費を払ってもらっているから、この借りは必ず返すつもりだ。
借金を全て返済することが出来たら、今度は尚原に返済していこうかと考えている。
そして、俺は菜月の小さな手を掴んだ。
「菜月、お前をひき逃げした奴が捕まったぞ。
よかったな、これでお前も少しは安心したろ?」
その瞬間、菜月の指がほんのわずかに動いたような気がした。
もしかして、今少しだけ反応したか?
お前を轢いた犯人が捕まったから、安心していいんだ。
ちゃんと言いたいことは言ったし、お前の分を一発殴ってきたから。
だから、意識を取り戻してくれよな・・・。
「犯人が捕まって言うのは、本当なのか?」
「ああ、さっき警察署で確認して一発ぶん殴ってきたんだ。
ふざけた野郎だったから、言いたいことをぶちまけてきた」
「そうか・・・犯人が捕まってよかった。
ひき逃げなんか赦せないもんな」
全くだ、赦してたまるものか。
菜月をこんな目に遭わせて、当の本人がのうのうと生きているのは赦せない。
すると、隣の部屋から競馬中継が聞こえてきた。
結構音漏れするもんなんだな・・・。
そう考えていると、尚原とばっちり目が合った。
ん・・・何か気になることでもあるのか?
「そういや、もうギャンブルは大丈夫なのか?
あの中継聞いて、競馬がやりたくなったんじゃないか?」
「あ・・・すっかり頭になかった。
ギャンブルの事、忘れてたしもうしたいなんて思ってない。
なんであんなハマってたんだろうな、俺は」
俺は笑いながら言った。
今、隣の病室から競馬中継が流れてきているのに、何も思わなかった。
尚原に言われてから気付くなんて、俺完璧にギャンブル克服できたのか?
ぶり返したりしないよな?
大丈夫・・・だよな?
俺が自問自答を繰り返していると、尚原が笑った。
その時、かすかに声が聞こえた。
・・・・?
「・・・・・つき」
かすかな声が聞こえて、俺はベッドを見た。
おい、嘘だろ・・・信じて良いのか?
ベッドを見るとお袋が目を覚まして、俺の名を呼んでいた。
驚いて声にならず、俺はすぐさまお袋の手を握った。
僅かな力で俺の手をぎゅっと握り返してくる。
よかった・・・よかった、目を覚ましてくれて・・・。
「お袋、大丈夫か?
ずっと眠りっぱなしだったから、心配したぞ!」
「・・・」
お袋は起きたばかりで、まだ状況が理解できていない様子。
上手く話せないみたいで、俺は無理に話さなくてもいいと伝えた。
今はもう少し休んでゆっくりする必要があると思うから。
目を覚ましてくれたことで、一気に安堵して俺は涙がこぼれた。
力の無い手で俺の涙を掬ってくれるお袋。
その眼はまるで俺に向かって“泣いたりして馬鹿だね”と言っているようだった。
尚原が空気を読んでくれたのか、病室を出ていく。
ありがとな、尚原・・・。
会話は出来ないけど、何も言わなくても言葉が伝わっているような気がした。
それは気のせいかもしれないけど、本当にそんな気がしたんだ。
俺は、お袋の手を優しく握ってギャンブル依存症を克服したことや、借金を返済していることを全て話して、伝えた。