僕は役職が上がったことで給料も少し増えて、返済金額を少しだけ増やした。
もうパチンコ屋を見てもやりたいと思わなくなったし、競馬にも興味がなくなった。
仕事もプライベートも充実していて、まるで嘘みたいな日々を送っている。
こんな生活が待っていたなんて、本当に想像していなかった。
小林さんに声をかけられたことがきっかけで、こんなに僕は変われた。
彼女の存在で変われたなんて僕は単純かもしれない。
でも、単純だったからこそ今の僕がいるんじゃないかなって思うんだ。
本当に彼女には、感謝してもしきれない。
「中村、この書類なんだけど見てくれないか?」
同期の彼に言われて、僕は書類を受け取り確認していく。
まだミスが少し目立つけど、前よりは全然良くなっている。
簡潔にまとめてあるし、言いたいことが伝わってきてすごくいい内容になっている。
やっぱり、彼は僕よりも仕事が出来る。
こんなふうに、また一緒に仕事が出来るなんて思っていなかったから、素直に嬉しい。
「ミスが少し多いが、すごく読みやすくて分かりやすいと思う。
君らしくていいと思うし、いいところに目を付けているから興味深い」
「本当か?」
「僕は嘘をつかない主義なんだ。
ミスを直したら、完璧だと思うよ」
ミスを直したら、本当に完璧だと思う。
僕がそう伝えると、彼は嬉しそうに小さく笑った。
その笑顔は以前の彼の笑顔とは違って、どこか優しいもので思わず見入ってしまった。
彼もこんな表情をして笑うんだな、知らなかった。
そして、少しずつ彼も借金を返済していくようになり、パチンコ屋の前で入りそうになっていた時は僕がとめて・・・という事をしばらく繰り返した。
僕も最初はそうだったから、ちゃんと止めるようにして彼を支えていった。
本当に少しずつだけど、彼も性格が柔らかくなって仕事もちゃんとこなせるようになって、周囲からの信頼を得られるようになってきている。
まだミスをしたりするけれど、それは許せる範囲だから大丈夫。
このまま僕も彼も頑張っていけるといいな。
お互いを励まし合って、高め合いながら過ごしていけるのが理想。
「中村、飲みに行かないか?」
「ああ、行こう」
同期の彼、鈴村に誘われて僕たちは退社した。
そういえば、鈴村とこうして飲みに行くのはこれが初めてじゃないか?
そう考えると不思議な感じがして、笑ってしまった。
以前まではお互いに嫌っていたというのに、それが今ではこんな仲になっているんだから、人生何があるのかわからないよな。
店に入って、ドリンクを注文すると10分くらいでテーブルに運ばれてきた。
乾杯を軽くして、グラスを口へと運んでいく。
「中村、返済は順調なのか?」
「ああ、毎月しっかり返済しているよ。
鈴村はどうだ、無理なく返済しているのか?」
「お前と約束したからな、返済している」
お互い返済をしっかりして、完済を目指している。
毎日一歩ずつでもいいから、進めていくことが大事なんだと分かった。
延滞するのは良くないし今までがそうだったから、しっかりしていきたい。
お互いに話していくことで、勘違いをしていた部分も知った。
彼女に振られただけでギャンブルにハマってしまうものなのかと思っていたが、理由を聞いてみると、一方的に別れを切り出されて納得する暇もなかったのだとか。
原因は、彼女が他に好きな人が出来たからというものだったようだ。
信頼していた人物に裏切られたような気分になって、ギャンブルに手を出したんだと。
そんな中、あの飲み屋の女性と出会い、ギャンブルに手を染めてしまったみたい。
「君の良さを分かってくれる女性が、きっと現れるはずだから。
急に変わろうとしなくてもいいんだ、自分らしく歩んでいけばいい」
その彼女は見る目が無かっただけなんだ。
鈴村は真面目だし、期待にもちゃんと応えてくれるから優秀だと思う。
もっと良い女性を見つけることが出来るはずだから、どうってことない。
一緒に居ることが幸せにつながるような女性を見つけることが出来るはずだから。
酒を飲みながら、お互いの今後について話していく。
鈴村はいつかデザイン事務所を開くことを夢にしていることを知った。
僕たちが勤めているこの会社も、デザイン関係の仕事だ。
実は、僕もいつか自分の事務所を持ちたいと考えていた。
だが、僕たちは借金を返済している途中だから、その夢は叶いそうにない。
それから、どんな仕事をしたいのかなどについても話したりした。
後日、僕は上司に鈴村の事を話した。
最近は、ミスも少なくなってきて楽しい存在になってきたと。
少しでもあの昇格した時の感じに戻してあげたい、そう思っていたから。
「鈴村がしっかり仕事をこなしてくれるので、助かっているんですよ。
やるべき時はやる男なんですね、鈴村は。
だから、もっと一緒に仕事がしたいと思っています」
「そうか・・・確かに鈴村は仕事が出来るやつだ。
最近は真面目に仕事をしてくれているみたいで、私も鼻が高い」
上司が笑いながら言う。
彼の頑張りを知っているのは僕だけじゃなく、上司も同じだったのか。
これなら、彼もまた元の役職に戻れるかもしれないな。
現実はいつだって厳しい、それはわかっているがどうにかしてほしいと思う自分がいる。
一緒に仕事がしたいと思うのは本当だし、色々な経験を積みたいとも考えている。
喫煙所で煙草を吸っていると、小林さんがやってきた。
「中村さん、本当に変わりましたね。
まさか、あの鈴村さんに手を差し伸べるなんて」
「ああ、自分でも驚いたよ。
君もあんな感じだったのかな?」
「私は・・・中村さんだったから。
中村さんじゃなかったら、私は何もしていなかったです」
・・・・・?
僕じゃなかったら、何もしていなかった?
でも、その気持ちわかるような気がするな・・・僕だってきっと鈴村ではなくて別人だったら放っていたかもしれない。
ふと彼女を見ると、顔を少し赤らめていたが、なんて言っていいのか分からず、黙ってしまった。
こんな風にして、毎日が過ぎていきあっという間に季節は廻っていく。
季節はあっという間に冬になった。
冷たい風が吹きわたって、陽が落ちるのも早くなり夕方になるとすぐに暗くなってしまう。
僕も鈴村も順調にギャンブルをやめられるようになって、返済をしっかり続けていた。
いつも通りに仕事をしていると、上司がやってきて話し始めた。
「鈴村君が以前の役職に昇格することになった!
皆、彼を祝ってやってくれ!」
「え・・・俺が?」
「おめでとう、鈴村!」
僕は彼にそう言って、肩をポンと軽く叩いた。
本人は信じられないと言わんばかりに、その場で固まっている。
役職が昇格したことで、今まで以上に仕事を一緒にする時間が増えることになる。
鈴村が嬉しそうにしている姿を見て、僕も嬉しくなった。
すると、小林さんが僕の方へやってきて小声で言った。
「中村さん、上司に掛け合ったんですって?
やるじゃないですか」
「掛け合ってなんていないさ。
ただ、素直に一緒に仕事がしたいと言っただけで、何もしていない」
「素直じゃありませんね。
まぁ、私は中村さんのそういうところを好きになったんですけど」
いきなりそういわれて、僕は固まってしまった。
小林さん、今僕を好きと言ってくれた?
聞こうと思ったら、足早に彼女が去って行ってしまい、聞けなかった。
今のは告白だったんだろうか・・・。
鈴村も僕のように、こちら側へと戻ってきた。
二人してギャンブルをして借金まで作ったというのに、こうして普通に過ごせている。
それが素直に嬉しいと感じるし、生き生きしている様にも思える。
鈴村を祝おうといって、同僚たちと飲みに行くことになった。
にぎやかな繁華街を歩いていると、ある女性が店から追い出されている姿を見かけた。
あれは・・・。
よく見てみると、その女性はあの飲み屋の女性だった。
「お前みたいなやつは二度と店に来るな!!
金もないくせに注文ばかりしやがって、借金ばかりしているやつが来ていい店じゃないんだよッ!!
大体お前の借金1000万円以上あるじゃないか!!」
そう怒鳴り店員がドアを思い切り閉める。
外へ放り出された女性は、そのまま泣き崩れるしか出来ないようだった。
借金が1000万円以上・・・それはまたとんでもない金額だな・・・。
だが、不思議にも助けてあげたいとは思わなかった。
僕も鈴村も彼女に良いように使われていたのだから。
行きかう人たちが泣き崩れている彼女を、冷たい目で見ている。
僕たちも一歩間違えれば、あんなふうになっていたのかと思うとぞっとする。
「俺さ、本当お前には感謝しているんだ。
あの時、俺に手を差し伸べたくれたこと。
おまえの言う通り、俺は変わりつつあるしあんなふうになるところだった」
「いや、僕は何も大したことはしていないさ。
頑張ったのは君の方だよ」
そう、僕は何もしていないんだ。
頑張ったのは鈴村本人で僕はサポートしていただけで。
お互いパチンコ屋とか競馬場を見ても金を借りてまでやりたいとは思わなくなった。
それだけでも、だいぶ成長したと思える。
僕たちはギャンブルの運なんかちっともなかったけど、人生そのものの運があるみたいだ。
ギャンブルの勝つ運よりも、こっちの運の方がよっぽどいい。
僕たちはお互いに顔を見合わせて、笑った。