入院すること一週間。
栄養失調もだいぶ良くなって、点滴の必要がなくなった。
身体の調子も良いし何だかスッキリしたような気分だ。
この一週間、全くギャンブルが出来なくて精神的に焦ることもあったけれど、今ではだいぶ落ち着いているから不思議な感じがする。
ギャンブルを一日でもしない日があると、あんなにもイライラしていたのに。
ギャンブルをちょっとしなかっただけで、こんなにも変わるのか・・・。
今日はいよいよ退院の日で、俺は帰り支度を始めていた。
これで病院生活から解放されると思うと、すごく自由になれた気分だ。
病院食は味が薄くて何を食べても正直、美味しいとは思えなかった。
カロリーとか血圧の管理を徹底しているから、どうしても薄味になってしまうと思うんだけど、それでももう少し味があってもいいと思う。
お腹いっぱいになるまで食べることも出来なかったし。
色々考えて解放されることの喜びを、一人噛みしめていると何者かの気配を感じた。
「三代澤、退院おめでとう!」
「久留宮先輩、どうしたんですか?」
「どうしたんですか、じゃないだろ?
これから出社するんだよ!」
「ああ、そうなんですか。
お気をつけて出社なさって下さいね」
俺はそう言って、荷物をまとめていく。
わざわざ出社する前によってくれたなんて、本当に兄貴肌と言うかなんというか。
こんな朝早くから病院に来る人なんて滅多にいないと思う。
それに、俺が寝ていたらどうするつもりだったのだろうか。
早く病院から解放されたくて早起きして行動していて良かった。
来てもらえたのに眠っていたら申し訳ないし、失礼にあたると思うから。
外を見ると燦々と晴れ渡っていて、良い天気だった。
キレイな緑色の木々が風に揺れて、ざわざわと音を鳴らしている。
いい音だな、心が癒される。
「何を言っているんだ、お前も出社するんだよ!」
「俺は戻りませんって言ったじゃないですか。
出社するなら久留宮先輩だけで・・・」
「俺はお前と仕事がしたいんだよ!
それにあれから動きがあったんだ」
「動き?」
久留宮先輩から一緒に仕事がしたいと言ってもらえるのは、本当に光栄なことだと思う。
だけど、もう少し早くそう言ってもらうことが出来たら良かったのにと思うんだ。
今の俺はもう昔の俺とは違うから、何を言われてもあまり響かない。
それに俺はギャンブルをまだ断ち切れていないから、仕事復帰してもギャンブルに費やしてしまうに決まっている。
残業だってきっとしないでさっさと帰ってギャンブルするだろうし。
そのうち出社もしなくなるんじゃないかと思う。
動きがあったと言われても、俺には関係ないし関係あったとしても関わりたくない。
「とにかく出社してくれないか?
ちゃんと話し合いをして、今後の事を進めないとダメだ」
「退職手続の事ですか。
それはいつかきちんとしなければと思っていたところです」
そう、確かまだ正式な退職手続をしていなかった。
退職願を書いて提出しなければ。
いちいち手続きが面倒くさいけれど仕方がない。
いつか正式に辞めなければいけないと思っていたから、出社するしかなさそうだ。
しかし、俺はまだ何も準備していないから、久留宮先輩には先に出社してもらう事にした。
だが、何度も何度も出社してくれ、と言われて釘を刺された。
どうしてそんなに出社させたいのか俺には分からない。
一度タクシーで自宅まで帰り、スーツに着替えた。
暫く着ていなかったから一瞬ネクタイの結び方を忘れてしまった。
毎日このスーツを着て、仕事をしていたんだっけ・・・。
何だか気が重たいな・・・。
行きたくない気持ちに駆られて、歩くスピードが遅くなる。
はぁ・・・何だか行きたくないな。
俺は近くの噴水公園のベンチに腰を下ろして、缶コーヒーを口へ運んだ。
一息つくと落ち着きを取り戻した。
「もしかして、三代澤さんではありませんか?」
「?」
突然、声を掛けられて俺は顔をあげた。
スーツを着て身なりをしっかり整えた男性が立って俺を見ていた。
もしかして、以前取引とかしていた人物か?
しかし何も思い出せない。
なにしろ、あれから半年以上経ってしまっているから。
とりあえず、失礼のないよう、その場に立ち軽く挨拶を交わした。
すると、男性が名刺を差し出してきたから丁寧に受け取った。
俺は名刺なんか持っていないから、適当にごまかしてやり過ごした。
名刺を確認すると、青石商社の前原と印字されていた。
青石商社って、確かうちの会社とよく取引をしている会社じゃなかったっけ?
よく新商品の開発や事業を起こしては互いにライバル視して、競い合っている。
もちろん、悪い意味ではなく良い意味で。
そして、前原さんが俺の隣に腰を掛けてきた。
「あのペットボトルの折り畳み傘すごいアイデアでしたね。
そちらの部長さんからお聞きしました」
「あ・・・あれは偶然と言いますか落書きが採用されまして」
「落書きでもあのアイデアはすごいですよ。
三代澤さんは、今までも即戦力として活躍されていましたし。
弊社でも三代澤さんは話題の方なんですよ」
「いえいえ、私はそんな大した人物では・・・」
まさか、他社で俺の話題が出ているなんて思っていなかった。
悪く言われるならまだしも、よく言われているとなんだか申し訳なく思ってしまう。
前原さんの会社では、俺の事をかなり評価してくれている様子だった。
売り上げは青石商社の方があるけれど、何かが足りないと思っているのかもしれない。
俺も青石商社には以前から興味があったし、もう少し手を加えることでより良い商品を作り上げることが出来るんじゃないかと思っていた。
元々のアイデアはすごくいいのに、あと一歩及ばないのが歯がゆいと言うか。
それを前原さんに伝えると、とても嬉しそうな表情を見せた。
何かしら言い返されると思っていたが、前原さんは真摯に受け止めメモまでしている。
俺はそんな大したことを言っているつもりはないのだけれど。
しかし、前原さんは目を輝かせながらメモを続けている。
「三代澤さんは、営業回りもされているのですか?」
「いえ・・・実は・・・」
俺は今まであったことを、なぜか初対面の前原さんに全て話してしまった。
あの会社で起きてしまったことや、その後ギャンブルにのめり込んで以前とは変わってしまったことも全て包み隠さず打ち明けてしまった。
だから引かれるだろうなと思っていたが、前原さんはキョトンとしていた。
あれ・・・引いていないのか?
前原さんは特に驚く事も無く、笑顔を見せた。
おかしいな、絶対嫌な顔されると思っていたのに。
「色々あったのですね」
「引きませんか?
ギャンブルにハマってこんな状態になって・・・」
「なぜギャンブルをしたからといって引くんです?
三代澤さんは、ご自分のなさっていることが間違いだと気が付いている。
それに元はお宅の同僚が身勝手に行動し、部長さんが話を最後まで聞かなかったのが原因でしょう。
三代澤さんがギャンブルに手を染めてしまったキッカケを生み出したものが悪いんですよ」
・・・・!
今までそんなこと、誰も言ってくれなかったから嬉しかった。
そう、自分の意思でギャンブルを好きで始めたわけではない。
誰も信じられなくなって、話を聞いてもらえないからといって、俺は自分だけの世界に逃げ込んでしまっただけなのだ。
前原さんが優しく諭すから、泣いてしまいそうになった。
本当はもっと仕事がしたかった。
やりがいのある楽しい仕事をして、一人でも多くの人により良い商品を提供したかった。
皆が驚くようなそんな商品を開発して、充実した毎日を送りたかった。
だけど、周囲の環境が壊れてしまい、その願いが叶う事は無かった。
何もかもが嫌になって、俺はそのまま闇に堕ちかけた。
すると、前原さんが口を開いた。
「それなら、うちの会社へ来ませんか?」
「・・・え」
「うちの者達も三代澤さんと仕事がしてみたいと言っておりますし。
部長や課長もあなたを好評価していますし、一緒に仕事をしてみませんか?
もちろん、三代澤さんさえよろしければという事になりますが・・・」
突然の誘いに、俺は間の抜けた返事をしてしまった。
俺が青石商社に?
部長や課長、社員が俺の事を評価してくれているのは、素直にとても嬉しい。
しかし、その環境に俺が混ざることが出来るかどうかについては不安だ。
もしかしたら、俺が来ることを嫌がっている者達だっているかもしれない。
うまくやって行ける自信だって、今の俺にはない。
「時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん構いません。
良いお返事を期待しております」
そう言って、前原さんはにこっと笑って去って行った。
俺を誘ってくるという事は、前原さんもそれなりの立場の人間なんだと思う。
上の人間じゃなければ、こんなふうに誘う事なんて出来ないから。
今の会社を辞めて青石商社へ入社するか、それとも今の会社で頑張っていくのか。
どちらが自分にとって良いのか、よく考える必要がある。
すぐに決めることは出来なくて、俺は久留宮先輩に今日は出社できないことを伝えた。
あれだけ来るように言われたが、予想外の出来事が起きて正直まだ状況が飲み込めず、整理も出来ていない状態だ。
「さて・・・どうしたものか」
考える時間が少なくて、答えが出せるのかどうか不安だ。
しっかり今後の事を考えてから決める必要があるため、俺は一度自宅へ帰り情報を整理してから考えようかと思った。
俺が今後どのようなことをしていきたいのかという事で、会社選びが決まるんだ。
この先、俺はどんなことをして過ごしていきたいのだろうか・・・。